『ストレイト・ストーリー』『インランド・エンパイア』で辿るデヴィッド・リンチの本質

デヴィッド・リンチが2025年1月15日にこの世を去ってから、1年という月日が流れた。
彼がいなくなった世界は、まるで甘美な夢から醒めた後のように、ぽっかりとした空洞が空いている。私たちは今なお、彼が遺した深い闇の縁に立ち尽くしたままだ。かくいう筆者も、そのひとり。しかし、この喪失の痛みの中でこそ、彼の芸術の本質はより鮮烈に浮かび上がってくるはずだ。
現在、映画館では彼のフィルモグラフィーにおいて、最も極端な2作品が4Kリマスター版としてスクリーンに蘇っている。ディズニーが配給したロードムービー『ストレイト・ストーリー』(1999年)と、狂気に満ちた3時間の実験作『インランド・エンパイア』(2006年)。一見、水と油のように見えるこの2作だが、リンチという画家の視点を通せば、これらは同じコインの裏表――彼が統一場(Unified Field)と呼ぶ意識の源泉から釣り上げられた、異なる種類の“大きな魚”であることが見えてくる。
そもそもデヴィッド・リンチを映画監督という肩書きだけで語ることはできない。彼の原点はあくまで絵画にある。ペンシルベニア美術アカデミーに在籍していた若き日のリンチは、アトリエに籠もり、ひたすらキャンバスと対峙していた。やがて彼は、静止したイメージから、動くイメージ=モーションピクチャーを幻視するようになる。「絵を見ていると、そこから風が吹いてきたんだ。そして緑の植物が動き出した。それを見て、風の音を聞いて、僕は言ったんだ。あっ、動く絵画だと。それが始まりだった」。(※1)

リンチは生涯を通じて、映画監督ではなく、映画というメディアに恋をした画家であり続けた。「映画については何も知らなかった。でも絵画から映画に入ったので、それは常に、物語のある“動く絵画”のようなものに思えたんだ」(※2)と語る通り、彼にとってスクリーンとは、時間と音、そして光と影という絵具を塗りたくり、観客の神経系を直接刺激するための、有機的なキャンバスだったのだ。
その根源には、アイルランド生まれの画家フランシス・ベーコンの影がある。リンチ自身、「フランシス・ベーコン以上に影響を受けたアーティストは思い浮かばない」と公言し、「1960年代にマールボロ・ギャラリーでベーコンの展覧会を見たんだけど、それは人生で見たものの中で、本当に最もパワフルなものの一つだった。主題とスタイルが一体となっていて、結びついていて、完璧だったんだ」と、その衝撃を語っている。(※3)
ベーコンの絵画における最大の特徴は、何もないフラットな背景や幾何学的な枠(フレーム)の中に、歪んだ肉体が孤独に幽閉されている構図にある。その代表例が、「ベラスケスによるインノケンティウス10世の肖像画後の習作」だろう。透明なカーテン状の檻に閉じ込められた教皇が絶叫するという、ほとんどデスゲームのような世界観。

これは明らかに、『インランド・エンパイア』における、薄暗い部屋に閉じ込められたウサギ人間たちの不条理なシットコムや、不気味なまでに歪んでいくローラ・ダーンの顔貌に直結している(もちろん『ツイン・ピークス』の赤い部屋も、このイメージに繋がるものだろう)。
「物語を語ることを避けたいわけではないが、私はその伝達の退屈さなしに感覚を与えたいと、強く強く願っている」(※4)とベーコンが語るように、リンチもまた、“イミフ”すぎるイメージの連鎖によって、観客の深層心理を揺さぶることを選んだ。彼らが目指したのは、頭で理解する芸術ではなく、心……いや、内臓で感じる体験だったのである。



















