レオス・カラックスはアレックスそのもの “美しき失敗作”『ポンヌフの恋人』が示す真実

渋谷・ユーロスペースから始まる、『ポンヌフの恋人』(1991年)の4Kリマスター版によるリバイバル上映。映画館へ足早に向かうと、大勢の人々が行き交う冷たい路上に寝ている若者がいて、あたかもセーヌの厳しい冬風が、渋谷の寒空を吹き抜けた気がした……などと詩人ぶって感傷にひたってしまいたくなるような力が、このレオス・カラックス監督の作品にはある。
映画館は盛況だった。有名タイトルながら、ミニシアターブームの残滓やノスタルジーをまとったような上映に、これほどの熱気が渦巻いていることに、ややたじろぐ思いもあった。いったい、このいびつな恋愛作品が観客に及ぼす不思議な影響とは、何なのだろうか。
映画は、乗用車の車窓から眺める、深夜の不穏なパリの市街地の光景をまず収める。その路上を、みすぼらしい姿でふらふらと歩いているのが、ドニ・ラヴァン演じるアレックスだ。『ボーイ・ミーツ・ガール』(1983年)、『汚れた血』(1986年)、そして本作を含めた「アレックス三部作」は、当時フランス映画界の「恐るべき子供たち」の一人と呼ばれた、若い日のレオス・カラックスの精神を演じる“肉体”として機能する。
ここでのアレックスは、脚を痛めた大道芸人の路上生活者だ。彼はパリに現存する最古の橋である「ポンヌフ」が封鎖され、改修工事が中断しているのをいいことに、工事現場に入り込んで暮らしている。そこに現れたのが、眼の病気によって視力を失いゆく若い女性・ミシェル(ジュリエット・ビノシュ)だった。
アレックスは例によって彼女に恋をするのだが、破滅的な毎日を送る彼は、ミシェルを繋ぎ止めるために、裏でさまざまな工作をする。昏睡強盗によって稼いだ金をセーヌにわざと落としたり、彼女の目を治療させないことで社会復帰できないようにしさえもする。自分勝手で卑怯な執着……そんな、観客にも見捨てられるような人物が、この映画の主人公なのである。結局、この男は何なのかというのも、ここでは作品の魅力とともに考えていきたい。
誰もが印象に残るのは、革命200年を祝うパリの街に上がる花火を、ポンヌフで楽しむアレックスとミシェルの姿だろう。このシーンこそ、これが「呪われた映画」だと言われた理由となる箇所でもある。もともと本作は、それほど大きくない予算で撮りきる軽快な作品のはずだった。幸運なことに、十数日ほどポンヌフでの撮影許可も得られていた。
しかし、主演のラヴァンが私的に負傷をしたことで、撮影が頓挫することに。そこで普通なら、物語の舞台を変えるなど、フレキシブルにプランを変化させることを考えるだろうし、実際にそれは可能だったはずだ。しかしレオス・カラックスは、ポンヌフでの物語にこだわった。最終的に彼は、フランス南部の湖に巨大なセットを巨費を投じて建造し、ポンヌフからの光景を再現するという、狂気の世界に足を踏み入れることとなる。
その裏に、パリで最も期待される若手映画監督としてのプレッシャーもあったのだろう。前作『汚れた血』では、デヴィッド・ボウイの楽曲とともにアレックスが疾走する、アイコニックな「モダン・ラブ」シーンがあった。あの瞬間を超えねばならないという焦燥が、この花火のシーンに込められていたことは想像に難くない。とはいえ、この大仰なスペクタクルが、あの孤独な風景を切り取った「モダン・ラブ」シーンを美的な意味で凌駕し得たかといえば、答えは否だろう。それが映画の“残酷”な面でもある。
フランス映画史上でも多額の製作費をかけながら、興行成績がそれほど振るわなかったのも、事前に予想できたことだ。常識的に考えて、アート映画にそれほどの予算を投じるというのは、ビジネス的にはバカげた選択だとしか言いようがない。“なるべくしてなった失敗作”というのが、この映画の一面であることは、隠しようもない。

























