上白石萌歌のコメディセンスがどハマり 『ロマンティック・キラー』実写化で増したネタ要素

 2022年にNetflixでアニメ化もされた、百世渡原作による『ロマンティック・キラー』が実写映画化。

 突然現れたご当地キャラクターのような魔法使いリリィのサポートによって、主人公は恋愛を強制されるという1990年~2000年代にあった典型的な少女漫画的展開。しかし改めて、現代的な視点で考えると「それっておかしくない?」ということを皮肉的に描いてみせている意欲作だ。

 ラブコメ作品のなかでも、とくに邦画の場合は、批評の対象にされないことが多かったりするのだが、それは大間違い。年々、未公開のまま配信スルーが進み、そもそも制作自体が激減しているアメリカやヨーロッパのラブコメではあるが、日本は今でも積極的に制作されており、そのなかでステレオタイプな着地点を避け、差別化を図ろうと様々な工夫とアプローチを試行錯誤しているのだから、逆に今こそ目を向けるべきジャンルではないだろうか。

 さて、今作はどんなアプローチかというと、主人公の星野杏子(上白石萌歌)は、恋愛よりもゲームとチョコと猫を愛していて、それだけで満足している高校生。人生の幸福が恋愛かどうかは人それぞれであって、個性を尊重する多様性の時代だというのに、結局のところ映画もドラマも漫画も、そして社会さえも「若者の恋愛離れが加速している」と常に投げかけてくる。そんな全てが恋愛に向いていく風潮に対して待ったをかける、極端なように見えて、実は筋の通った意見をメタ的に体現しているキャラクター構造だ。

 今作の凄いところは、思いっきりラブコメルックであるし、ちゃんとラブコメとしてのおもしろ要素を兼ね備えた構成になっているというのに、「それでも結局は恋愛でしょ~」という結論にならないところだ。その点は原作やアニメ版でも同じ構成とメッセージ性ではあったものの、映画版では、その先の回答まで見事に提示してみせた。

 たとえば杏子に課せられた環境は、より過酷なものになっていた。原作では、ただゲームが没収されてしまう設定だったのに対して、映画版では、ゲームは将棋に変えられ、チョコはう〇ちの味と臭いに、猫のモモヒキはクマムシにされてしまうだけではなく、誰かひとりと恋愛関係にならなければ、自分だけでは済まないある結末を迎えることになる。そこで杏子が出した答えに関しては劇場で観てもらいたいのだが、過酷な結末になろうとも、相手を信じて疑わない、恋愛を超越した人間愛を感じさせてくれる。流れ的には原作に近いながらも、さらにもう3段階くらい深い結末になっている。

 ラブコメルックでこの着地点は見事としか言いようがないし、『3D彼女 リアルガール』(2018年)や『映像研には手を出すな!』(2020年)を手掛けてきた英勉ならではのハイテンション進行も、上白石萌歌が主演を務めたことで上手い具合に消費できていた。しかしそれだけではない、強い一本筋のようなものを感じたのだが、脚本が山岡潤平だと知って、納得しないではいられなかった。

 山岡といえば、『モエカレはオレンジ色』(2022年)や『honey』(2018年)、そして『ピーチガール』(2017年)もそうだが、ステレオタイプなラブコメルックを保ちながら、“自己犠牲”や“恋愛を超越した強い絆”、つまり“人間愛”を強く反映させてきた脚本家である。筆者は以前『モエカレはオレンジ色』を紹介した際に山岡の作家性について書いている(※)し、彼のWikipediaにもその記事が参照されているのだが、今作は、これまでの山岡脚本作品のなかでも、より作家性が出ていたといえるほど、山岡が今まで描き続けてきた人間愛を象徴するものとなっているのだ。

 とはいえ、魔法使いが出てくる時点で現実離れしていることに開き直って、メタ的要素が盛り盛りになっているのも映画版ならではの醍醐味ではあり、パロディネタも豪華。その点は山岡と英のタッグによる化学変化がもたらしたものだ。

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