『ばけばけ』は人生の喜びを教えてくれる朝ドラ 髙石あかりだから表現できる“楽しい地獄”

異色の朝ドラが始まった。小泉セツと小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)夫妻をモデルに、明治の松江で「怪談」を愛する夫婦を描くNHK連続テレビ小説『ばけばけ』は、まさに「怖いだけでなく寂しいもの」である「怪談」を愛するトキ(髙石あかり)の視点を通して、前に進みたいけれどなかなか進めない人々のやるせない思いとともに、明治の世を見つめているかのようだ。
『ばけばけ』に毎日笑わされている。岡部たかし演じる父・司之介の一挙一動に笑い、小日向文世演じる頑固な祖父・勘右衛門が時折見せる可愛らしさにほのぼのとし、堤真一演じる雨清水傳のカッコよさに溜息をつく。一方で北川景子演じるタエ、池脇千鶴演じる母・フミ、そして髙石あかり演じるヒロイン・トキの強くて真っ直ぐな「愛する家族への思い」が、明治の男性中心社会の中で決して損なわれることなく、物語そのものを動かしていることに感嘆せずにはいられない。本作の笑いには常に切なさが付き纏う。それは『一橋桐子の犯罪日記』(NHK総合)、『きょうの猫村さん』(テレビ東京系)などを手掛けてきたふじきみつ彦のこれまでの作品群を振り返ってみても共通していると言えるだろう。

本作を観ていてまず感じたのは、「怪談」というモチーフを随所に絡めることで、いつもと違う光景が見えてくることへの驚きである。例えば、登場人物たちが持つ「うらめしい」というネガティブな感情が物語の中心にあること。そもそも「トキの話」の幕開けは、明治維新によって急速に時代が変わってしまったことにより「立ち尽くす他なかった」没落士族の父・司之介(岡部たかし)の「うらめしい思い」の爆発のような丑の刻参りから始まった。さらにはヒロイン・トキまでも、恋占い通りに次々と縁談がまとまっていく女工仲間のせん(安達木乃)やチヨ(倉沢杏菜)に対して、祝福の言葉を言いながら、戯れに「呪うけんね」と口走るほどに「うらめしい」気持ちを隠せずにいる。
さらには、彼女たちの日常の中に当たり前のように存在する死の描写である。身内・近しい人の死が描かれることは主人公の一代記であることが多い朝ドラにおいて珍しいことではないが、それとは関係なく死の描写が頻出する。

第4話では水死体を見て、数日姿を消していた父親の遺体でないことに安堵し「良かった」と口にするトキ(福地美晴)と、母・フミ(池脇千鶴)の様子が描かれた。彼女たちが「良かった」と言うたびに、悲しみに沈む遺体の身内である妻や弟と思しき人物が「何が良かった?」と怒りの声をあげる。一見トキやフミの「不謹慎」な有り様に驚かされる一幕とも言えるが、これもまた誰かの幸せの裏には誰かの不幸せがあることの表出だろう。
勘右衛門(小日向文世)に「ウサ右衛門」として愛されたうさぎをはじめとする司之介の商売のために集められたうさぎはあっという間に「しめこ汁」に転じ、トキたちは、多額の借金を抱えた家族が生き延びるために必要なこととして受け入れざるを得ない。また、第7話でサワ(円井わん)が、松江大橋に伝わる「源助柱」の言い伝えに因んで自分たちのままならない人生を語るのもそうだ。朝に似つかわしくない「人柱」という言葉は、トキの愛する「怪談」が持つ悲しみと同様に、その土地の根幹部分に永遠に閉じ込められた「死」と、確かにそこに生きていた人の「うらめしい思い」そのものを想像させるのである。




















