実在の人物を朝ドラで扱う意義とは? 『あんぱん』が描き続けた“戦争”への思いが結実

NHK連続テレビ小説『あんぱん』もあと1週。第25週「怪傑アンパンマン」(演出:中村周祐)では、アンパンマンがミュージカル化されることになった。プロデュースはいせたくや(大森元貴)で、彼の悲願で作った劇場で上演される。著名な演出家・マノ・ゴロー(伊礼彼方)を呼んできてクオリティの心配もないが、予算は少なく、スタッフが足りないようで、のぶ(今田美桜)とメイコ(原菜乃華)も手伝うことになった。
顔合わせの日、嵩(北村匠海)が忙しくて顔を出せない代わりに、のぶは嵩の思いを関係者に伝える。それからは稽古でいせやマノが話したことを昔取った杵柄の速記を用いて伝える役割を担う。ほかにもメイコとふたりで衣裳なども手伝うことに。

アンパンマンの手袋は、羽多子(江口のりこ)の家事用ゴム手袋を参考にした。ゴムなので手がふやけるというアンパンマン役のヒラメ(浜野謙太)の意見を聞いて健太郎(高橋文哉)が工夫して仕上げた。そう、NHKを定年退職(当時55歳で定年だった)しヒマを持て余していた健太郎も昔取った杵柄で美術や演出のセンスやスキルを活かして手伝うことになったのだ。
家族総出でミュージカル上演に励む嵩とのぶ。だが、肝心のチケットが売れない。のぶは懸命に宣伝活動に励む。お茶のお稽古の生徒さんや八木(妻夫木聡)の会社の中の幼児室の子どもたちに声をかけるが、効果は薄そうで……。
初日の前日になってもチケットは動かず、ふたをあければ客席にはたったの10人しか客がいない。ところが、開演直前になって当日券を求めてたくさんの観客がやって来て……。
客のなかには数日前に嵩に会いに来た岩男(濱尾ノリタカ)の忘れ形見・和明(濱尾ノリタカ)とその子どもの姿もあった。また、公演終了後には、屋村(阿部サダヲ)がアンパンマンの顔をしたアンパンを焼いて子どもたちに配った。これはのぶが屋村に頼み、八木が蘭子(河合優実)に頼まれてスポンサーになったものだった。

おもしろいミュージカルを観られたうえに顔つきアンパンまでもらえるとあれば、2日目からも観客は引きも切らないであろう。
メイコは急な出演者の穴を埋めるため、若いときの夢だった人前で歌うことを叶えられた。屋村と嵩は再会できた。父の戦死の真実を知った和明も長年のもやもやを少し解消したようだ。
ミュージカル公演を通して、たくさんの人たちに幸せがもたらされる。このドラマがこだわってきた「戦争」に対する想いが最終週を前にひとつ結実したといっていいだろう。
「いま、世界中におなかの空いた人たちがいっぱいいる。やせ衰えて死んでいく子どもたちがいっぱいいる」
「いつもどこかで戦争をしている。なんにも知らない子どもたちがひもじさのために泣いている」
劇中でアンパンマンたちは客席に語りかける。そんなおなかをすかせた人たちにアンパンマンは自らの顔を食べさせるのだ。

「ぼくの命が終わるとき違う命がまた生きる」とアンパンマンたちは歌う。戦争を経験した嵩が、描きたかったことがこのミュージカルに詰まっている。アンパンの中のあんこのようにギュウギュウに。
嵩のモデル・やなせたかしの本『アンパンマン伝説』によると、このミュージカルがきっかけでバイキンマンやしょくぱんまんが生まれた。個性的なキャラクターたちによってアンパンマンの人気がうなぎのぼりになっていく。最終週ではアンパンマンの栄光の軌跡が見られることだろう。
ここでバイキンマンの誕生を描かないのはなぜだろう。『あんぱん』はやなせたかしをモデルにした嵩の物語、あるいは稀代のヒット作『アンパンマン』の誕生物語では決してないからではないか。『あんぱん』はあくまでのぶが主人公なのだ。




















