『ちはやふる-めぐり-』を通して目の当たりにした“奇跡” 歴史の一部となった永遠の祈り

『ちはやふる-めぐり-』(日本テレビ系)が9月10日に最終話を迎えた。毎週涙ながらに見守らずにはいられなかった本作は、「青春映画の金字塔」と言われた映画版と並び、新しい時代の青春ドラマの傑作となったのは間違いないだろう。
まず前提として、きちんと過去作である映画『ちはやふる』3部作の流れを踏襲し、なおかつ令和に新たに作られる意義をしっかりと打ち出した、原作者・末次由紀と紡いだオリジナルストーリーであるということ。タイトルと主人公・めぐる(當真あみ)の名前と繋がる紫式部の〈めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな〉が「恋の歌に見えて本当は友情の歌」だと言われていることを第1話の段階で示しているように、一貫して恋愛ではなく友情に重きを置いたストーリー展開は、「本当に男も女もない」競技かるたの良さを存分に活かすとともに、より爽やかな現代の「青春」の良さを際立たせていた。

また、映画版のヒロイン・綾瀬千早(広瀬すず)は誰もが「背中を追いかけずにはいられないヒロイン」だったが、同様に「仲間ごと強くしていく」本作のヒロイン・藍沢めぐるは、気づいたら隣にいて「そっと背中を押してくれるヒロイン」というのも、令和版ならではという感じがする。

本作の第1話冒頭には、めぐるたちの少し先の未来が描かれていた。彼女たちの袴姿の足元を捉えたショット、読手の後ろ姿、札を取る手、そして、手向けられた人数分のもみじ。その光景は、第9話において〈このたびは 幣もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに〉に因んで神社でもみじを手向けるめぐると奏(上白石萌音)の場面を切り取ったものだ。さらには奏が読手の選考会で〈おぐらやま 峰のもみぢ葉 心あらば 今ひとたびの みゆき待たなむ〉を読んだ際、東京都予選に臨む生徒たちを思い「どうか散ることなく待っていておくれ」と祈らずにはいられなかった姿を思い起こさせる。

『ちはやふるーめぐりー』は「祈り」のドラマだと思う。「青春は贅沢」と言いながら恐る恐る競技かるたに触れためぐるは、みるみるうちにその魅力の虜になっていった。仲間とハイタッチする喜び。「掛け声って、出すんじゃなくて出ちゃう」ことに気づくこと。「楽しいな、終わってほしくないな」「もっと早くめぐり合いたかった」。かるたと向き合っている間の彼女の心から零れだすモノローグは、この「青春」という仲間と過ごす幸せな時間が永遠に続いてほしいという切実な祈りとなって、画面いっぱいに広がっていく。そしてその「祈り」が彼女たちの過去現在未来を動かしていく様子を目の当たりにすることが、本作の稀有な魅力なのではないか。
「過去の選択は悔やんでもやり直せんけど、それを正解にしていくことは今からできます」という新(新田真剣佑)の言葉を、本作は何度も証明する。第5話においてめぐるの母・塔子(内田有紀)の「おかえり」が、競技かるたによって、めぐる自身が本来の自分を取り戻したことを示すとともに、これからの家族関係の修復を物語っていたように。

また、第9話において、かつて幼なじみだった幼少期のめぐる(井上あかり)と凪(浅田芭路)が喧嘩別れした場所で「私はあの時、道を間違えたのかも」と言うめぐるに対し、奏が「道を間違えてくれてありがとう」と言うとともに、泣いているかつてのめぐるを抱きしめる光景が示される時もそうだ。互いに泣きながら反対の道を行った当時の凪とめぐる。凪はその道の先で千早(広瀬すず)と出会い競技かるたと出会ったが、めぐるもまた時を経て奏と会い、競技かるたと出会う。





















