『あんぱん』にちりばめられた“向田邦子”の気配 嵩のモデル・やなせたかしとの深い縁

『あんぱん』にちりばめられた“向田邦子”

 蘭子(河合優実)は映画雑誌でライターをやっているが、実際は嵩(北村匠海)のモデル・やなせたかしが映画のライターをやっていた。絵のみならず脚本も書いたやなせは『映画芸術』や『映画ストーリー』などに映画評も書いていたのだ。『映画ストーリー』の編集者はのちに昭和ドラマに欠かせない脚本家となる向田邦子であった。蘭子はどうやらやなせ+向田邦子の要素を付与されているようだ。

 史実では『映画ストーリー』が廃刊した後、向田は脚本家になる。嵩が第104話で『CQCQ』というドラマの脚本を頼まれていたが、その元になった『ハローCQ』にやなせが向田を推薦して脚本を2本ほど書いてもらった。そのときやなせは彼女の脚本に手を入れたそうで、それを著書では「冷や汗もの」と振り返っている。

 その後、向田がエッセイ『父の詫び状』を書いたとき、やなせは挿絵を依頼されている。向田が時代の寵児のようになり直木賞も受賞する頃になると、やなせは気後れして逢うこともなくなり、やがて彼女は作家として絶頂期のとき不幸な飛行機事故でこの世を去った。

 やなせは自伝『アンパンマンの遺書』で向田邦子のふいの事故死によって「なにかしら、自分の中でひとつの準備がはじまっているような気がした」と書いている。それはその頃、まだスタートラインにも立てずに右往左往していた自分が、いよいよスタートラインに立つという準備を意味している。

 NHK連続テレビ小説『あんぱん』第23週「僕らは無力だけれど」(演出:柳川強)では、ついに手塚をモデルにした手嶌治虫(眞栄田郷敦)が嵩にアニメ映画『千夜一夜物語』のキャラクターデザインを依頼し、ふたりは手を握り合う。

 漫画家として手嶌にずいぶんと遅れをとっているコンプレックスを持ってきた嵩だったが、おりしも、『ボオ氏』という渾身の作品で週刊誌の漫画大賞を受賞し、少し自信をつけていた。ここから、嵩の才能がますます発揮されて、『アンパンマン』にたどりつくことになるだろう。

 『あんぱん』では手塚治虫、いずみたく、永六輔、サンリオの辻信太郎などをモデルにした人物たちが続々と登場している。やなせの著書を見ると、彼の周辺には、手塚治虫、いずみたく、永六輔、サンリオの辻信太郎だけでなく、綺羅星のごとき才能にあふれるクリエーターたちがいた。きっとみんな、それぞれ意識しあいながら、切磋琢磨して、新しいものを作ろうとしていたのだろう。

 余談ではあるが、著書に清水邦夫のことを「今注目の演出家清水邦夫」と書いているのも、演劇ファンにはたまらない。ただ、演出家ではなく当時は気鋭の脚本家・劇作家として注目されていたはず。清水も『ハローCQ』の脚本を書いていて、盟友・蜷川幸雄が出演している。やなせは演劇もやっていたから、当時の演劇人も意識していたに違いない。

 漫画、音楽、演劇……とクリエイターたちを漏れなく出して、60~70年代の文化を題材にした青春群像が見たかった。もちろんそれは難しいにしても、『アンパンマンの遺書』ではかなり重要な存在に感じる向田をなぜ『あんぱん』に出さなかったのだろうか。

 もし出すとなると、のぶ(今田美桜)の物語が薄らいでしまうからだろうか。あくまで、嵩を支えた妻・のぶの物語だから、嵩周りのキャラクターをあまり増やさないように配慮したのかもしれない。

 それでも向田邦子という存在がテレビドラマの世界であまりにも大きいからか(一時期、テレビ局のプロデューサーやディレクターに影響を受けたドラマを聞くと山田太一と向田邦子作品ばかりがあがっていた)、彼女の気配が朝田家にちりばめられているのを感じられる。

関連記事

リアルサウンド厳選記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「コラム」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる