『あんぱん』蘭子×八木の距離がいい感じ？　史実を超えてくっついてほしい2人の“体温”

　NHK連続テレビ小説『あんぱん』第107話で、蘭子（河合優実）が額に手を当てる仕草に「おやおや？」と何かを勘ぐった視聴者も多いだろう。

　最終回まで残り1カ月を切り、改めて思うのは、本作はのぶ（今田美桜）と嵩（北村匠海）が逆転しない正義を探す夫婦の物語であると同時に、朝田三姉妹が戦争によって失われたものを取り戻す物語でもあったということ。失ったものと言えば、のぶは自分が信じてきた“正義”であり、メイコ（原菜乃華）は「わたしが一番きれいだったとき」、すなわち“青春”、蘭子は愛する人の“体温”だった。そして今、蘭子は同じものを失った八木（妻夫木聡）とそれを取り戻さんとしている。

　2人の出会いが描かれたのは記念すべき第100話。のぶが八木の雑貨店を手伝っていると、そこにたまたま蘭子が通りかかる。当時、会社員だった蘭子は学歴のことで見下されることもあり、ライターとして独立するかどうか迷っていた。すると八木は唐突に「逆境が人に及ぼすものこそ輝かしい」と述べ、蘭子はすかさず「お……シェイクスピア」と反応。初対面の2人が教養で繋がった雰囲気、八木の「だから、今の君があるんじゃないか」という粋な励ましに胸を打たれた蘭子の表情から、「これはもしかして……もしかするかも」と思わされた。

　八木のモデルはサンリオの創業者・辻信太郎と思われるが、かなり脚色されている部分も多い。ドラマでは八木のほうが嵩より年上だが、実際には辻はやなせより8歳年下だ。また八木と嵩の交流はたまたま出征地が同じだったことから始まっているが、辻とやなせが出会ったのは終戦から約20年後。当時、陶器作りにのめり込んでいたやなせが開いた創作陶器展に、辻が足を運んだことがきっかけで縁が繋がったという（梯久美子『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』より）。

　辻は理系学生で徴兵を免れたが、甲府空襲で生家が全焼し、幼い妹を背負って逃げる中で、多くの無残な死を目の当たりにするなど壮絶な戦争体験をしている。サンリオの企業理念「みんななかよく」の背景には、そんな辻の反戦への思いが込められているのだ。一方、蘭子も婚約者の豪（細田佳央太）を戦争で亡くしたことから反戦の立場を貫いてきた。蘭子のモデルはやなせの妻・小松暢の2つ下の妹・瑛がモデルになっていると見られ、実際に彼女も夫を戦争で亡くしている（※1）。だが、辻の妻とは別人であり、したがって今描かれる八木と蘭子の恋愛模様は創作だ。

　独立後、八木の会社で宣伝文の執筆や事務仕事を手伝っている蘭子。最初の頃は八木を慕う蘭子の気持ちが単に人としての尊敬なのか、恋愛感情なのか、判断がつかなかった。でもそれがある確信を得たのは、歯に衣着せぬ蘭子の映画評論に八木が「そんな見方をして、一番不幸になるのは、映画を愛してる君なのに」と苦言を呈したシーンだ。蘭子は「誰にも心を開かない。家族も持たない。そんな方に愛とか言われたくありません」と強く反論するが、彼女が自分の仕事を批判されたからといって怒るとは考えにくい。そこには、月日を重ねても、八木との心の距離が一向に縮まらないことへの苛立ちも含まれていたように思う。ただ、蘭子もまさか自分が八木に対して恋愛感情を抱いていることに気づいていなかったのではないだろうか。あの時までは。

　孤児の子供たちがやってくると、いつも優しく抱きしめてあげる八木。その理由について八木は子どもたちが生きていくのに必要なものの一つに「人の体温」を挙げ、「あの子たちは親から無条件に与えられるぬくもりを知らない」と語った。それを聞いた蘭子はふと、「そういう八木さんを、誰か抱き締めてくれる人は……」という言葉がついて出る。伏し目から上目遣いに変わる蘭子の視線、明らかに動揺した八木の表情で一気に画面の湿度が上がり、観ているこちらまでじんわりと汗をかいた。そして気まずい雰囲気に耐えられず、外に出た蘭子は自分の額を触る。恋心が抑えきれないとき、無意識に手を頭のほうへやるのは豪に恋していた頃から変わらない。

　八木と蘭子は纏う空気がよく似ている。他人に流されず、物事を冷静に捉える思慮深さ。物静かながら周りをよく見て、さりげなく守っている優しさ。人の輪の中にいても、どこか哀しげな振る舞い。それを一過性ではなく普遍性を持つ妻夫木と河合の“美”と、時代を超越する演技が補強している。豪に一生分の恋をしたと思っていた蘭子。しかし、その体温がどんどん遠ざかっていく中で、八木と出会った。八木もまた空襲で妻子を亡くしてから、ずっと心の満たされないものを抱えているのだろう。子どもだけではなく、大人も「人の体温」を求めずにはいられない。手を伸ばせば、そこにある体温を2人は引き寄せることができるだろうか。

参照
※ https://www.kochinews.co.jp/article/detail/861384

■放送情報
2025年度前期 NHK連続テレビ小説『あんぱん』
NHK総合にて、毎週月曜から金曜8:00〜8:15放送／毎週月曜〜金曜12:45〜13:00再放送
BSプレミアムにて、毎週月曜から金曜7:30〜7:45放送／毎週土曜8:15〜9:30再放送
BS4Kにて、毎週月曜から金曜7:30〜7:45放送／毎週土曜10:15～11:30再放送
出演：今田美桜、北村匠海、江口のりこ、河合優実、原菜乃華、高橋文哉、眞栄田郷敦、大森元貴、戸田菜穂、戸田恵子、浅田美代子、吉田鋼太郎、妻夫木聡、阿部サダヲ、松嶋菜々子ほか
音楽：井筒昭雄
主題歌：RADWIMPS「賜物」
語り：林田理沙アナウンサー
制作統括：倉崎憲
プロデューサー：中村周祐、舩田遼介、川口俊介
演出：柳川強、橋爪紳一朗、野口雄大、佐原裕貴、尾崎達哉
写真提供＝NHK