『ChaO』が問う“異種族間恋愛”の現在地 『シェイプ・オブ・ウォーター』と比較考察

『ChaO』が問う“異種族間恋愛”の現在地

『シェイプ・オブ・ウォーター』の示す「愛は見た目じゃない」の真実

『シェイプ・オブ・ウォーター』30秒TVスポット(細野さんナレーション入り)

 『シェイプ・オブ・ウォーター』は、言葉を話せない女性イライザと、政府の研究施設に捕らえられた半魚人とのラブストーリーだ。この作品のメッセージが説得力を持つのは、ヒロインもヒーローも、最後まで「異形」のままであり続けるからだ。半魚人は人間と異なる姿のままであり、イライザも最終的には人魚となり、異形同士として結ばれる。

 例えばディズニーの『美女と野獣』は「愛は見た目じゃない」と謳っているものの、野獣が美しい王子に戻るような展開は、そのメッセージの説得力が揺らいでしまう場合がある。それに対し、『シェイプ・オブ・ウォーター』は化け物と化け物(となった人間)が結ばれることで、真実の愛を追求しているようにも見える。

『シェイプ・オブ・ウォーター』©︎2017 Twentieth Century Fox

 また、作品のタイトルである『シェイプ・オブ・ウォーター』は、目に見える「見た目」ではなく、「愛」や「信仰」といった目に見えないものの重要性を象徴しているのかもしれない。実際、監督自身が「テレビの中の怪獣だけが友達だった」と語る生い立ちを持つからこそ、見た目ではない愛を描くことができたのではないだろうか。

異種族間恋愛が問う「人間」の現在地

 2作は、異種族間恋愛を通して人間社会への疑問も投げかけている。『シェイプ・オブ・ウォーター』は、1962年の冷戦下アメリカを舞台に、人種差別や社会的な弱者を描き、異形の半魚人は「神」や「化け物」のような存在として扱われている。男性優位の権力者社会にある「男らしさ」や「理性」を無力化することで、現実社会の批判を暗喩として表現している。『ChaO』が最終的にヒロインを「美少女」として描くのは、異種族の愛を通して「人間社会」のあり方を問うというよりも、「人間社会」の規範に最終的に従っていくことへの意思表示なのかもしれない。愛は「人間を超える」のではなく、「人間になること、人間に近い状態になること」を物語の着地点としているようだ。

『ChaO』©2025「ChaO」製作委員会

 『シェイプ・オブ・ウォーター』が「愛は見た目じゃない」というテーマを貫くために異形と異形の結びつきを描いたのに対し、『ChaO』は最終的に人魚という「人間に近い」姿を選ぶことで、ルッキズムという現代の価値観から完全に自由にはなれないエンタメ作品の姿を浮き彫りにしている。それぞれの作品が描く「異種族間恋愛」は、真実の愛の形を模索する私たちに、愛のあり方だけでなく、美しさや人間性といった価値観をも問いかけているのではないだろうか。

■公開情報
映画『ChaO』
公開中
声の出演:鈴鹿央士、山田杏奈、シシド・カフカ、梅原裕一郎、三宅健太、太田駿静、土屋アンナ、くっきー!、山里亮太
監督:青木康浩
キャラクターデザイン・総作画監督:小島大和
美術監督:滝口比呂志
音楽:村松崇継
アニメーション制作:STUDIO4°C
配給:東映
©2025「ChaO」製作委員会
公式サイト:chao-movie.com
公式X(旧Twitter):@ChaOmovie
公式Instagram:@ChaOmovie

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