『ひとりでしにたい』が肯定してくれた“究極のエゴ” 家父長制の呪縛から抜け出すために

『ひとりでしにたい』が肯定してくれたもの

 カレー沢薫原作によるドラマ『ひとりでしにたい』(NHK総合)が惜しまれながら最終回を迎えた。

 39歳独身女子の主人公・鳴海(綾瀬はるか)のもとに突然降って湧いた伯母・光子(山口紗弥加)の孤独死。憧れだった伯母が身内からも他人からも好き勝手に侮辱されるのを見て、世間の独身女性に対する風当たりの強さを実感した鳴海は途端に不安に襲われる。

 猫とアイドルを愛でる独身生活を満喫していたのに焦って婚活を始めたり、今までは適度な距離感を保っていた義妹と良好な関係を築くために余計なアドバイスをしたり。散々迷走した結果、はたと気づく。「私はひとりでしにたくないわけじゃない。ひとりで生きて、ひとりできちんとしにたいんだ!」と。

 そこから鳴海は同僚の那須田(佐野勇斗)に煽られながら終活を始める。「ひとりで生きて、ひとりでしにたい」は究極のエゴだ。エゴを貫き通す生き方には相応の責任が伴う。「結婚もせず、子どもも産まないで、一人でずっと好き勝手してきたから、最後にバチが当たったんだ」なんて誰にも文句を言わせないためにも、自分が死んだ後の始末を生きているうちに終わらせておく必要がある。

 本作が提示する終活の中身はとにかく斬新で、驚きの連続だった。特に目から鱗だったのは「孤独死したくないなら、担当という『希望』への『投資』一番ケチっちゃダメですよ」という那須田の台詞。というのも、30代になった途端、筆者の周りの推し活女子たちが「そろそろ推し活やめなきゃ」と言い始めたからだ。

 たしかに約2000万円不足すると言われる生活資金や介護費用など、老後は何かとお金がかかるため、少しでも貯蓄しておくに越したことはない。チケット代、遠征費、宿泊費、グッズ代、ファンクラブの会費……などなど。考えたくもないが、仮に推し活に捧げているお金を全て貯蓄したとしたら、それなりの額になるのではないだろうか。

 でもその時、自分には一体お金以外に何が残るのだろう。推し活のために外出することも人に会うこともなくなれば、次第に身だしなみに気を配らなくなる。そのせいで外に出るのがより億劫になり、引きこもりの末に孤独死。あるいは脳への刺激不足で認知機能が衰え、火の不始末で不本意にも人様に迷惑をかけるなんてこともあり得る。たとえ、娯楽や趣味を我慢して貯めたお金で手厚い介護サービスを受けられたとしても、無感情でただ死を待つだけの老後なんて嫌だ。できることなら、最期の瞬間まで自分らしく生き生きと暮らしたい。そのためには、希望への投資が必要なのだ。

 光子の遺体は自宅の浴槽で発見された。つまり、少なくとも湯船に浸かる生活を送っていたということ。さらには、カバンからおそらく2.5次元舞台のチケットが見つかったことで、光子は孤独と絶望の中で死んでいったわけではなく、その間際まで希望を持って生きていたことを鳴海は知る。孤独死は必ずしも不幸ではない。少なくとも光子は自分らしく生を全うできて満足だったろうと思う。ただ、人の生き方にケチをつけることはしたくないが、一つだけ惜しい点があったとするなら、それは自ら必要な縁を断ち切ってしまったことではないだろうか。

 「ひとりで生きて、ひとりできちんとしぬため」には、逆説的だが、他者の力が必要だ。高齢になって身体の機能が衰えたら誰かに介護してもらったり、孤独死を避けたいなら普段から親族や知人に安否確認をしてもらったりと、少なからず人の手を頼る部分は出てくる。光子は若い頃、雅子(松坂慶子)に対してマウントを取っていたせいで、老後に仕返しされて鳴海たち家族と疎遠になっていた。もしも良好な関係が築けていたら、誰かが液体になる前に発見してくれたかもしれない。

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