『べらぼう』はなぜ現代と“繋がる”のか 森下佳子脚本の根幹を成す“死者と生者の連帯”

また、平賀源内の死によって一旦は幕が閉じられたはずだった悲劇がもう一度繰り返されたという話でもある。再び「丈右衛門だった男」(矢野聖人)が暗躍し、その裏で一橋治済(生田斗真)がすべてを操っていること。つまりは源内が書いていた幻の「七ツ星の龍」が登場する戯作と同じだと蔦重が見抜いたように、事件そのものが、源内の事件と同じ構造をしている。かつて源内の心の弱いところにつけこむ形で彼を陥れた「丈右衛門だった男」は、今度は政言の鬱屈した感情につけこみ、それを意知への殺意に変えていった。

さらには「浅間山が火を噴くのも米の値段が下がらねえのも皆田沼様のせい。佐野が天に代わって田沼様を成敗した」という物語を人々に信じ込ませて、世論そのものを動かしていく。現状に不満を抱く人々が容易に「丈右衛門だった男」が作り出す時代の波に乗り、「作られた物語」を真実として掴まされるその有り様のリアリティは、実際に飢えを経験した新之助(井之脇海)とふく(小野花梨)の実感を通すことでより深まった。第26回から描かれた、天明の大飢饉を起こした米の不足問題が、令和の米問題と絶妙にリンクすることも相まって、危機感とともに見ずにいられない。
そして、繰り返すのは「悲劇」だけではない。大切な人の命を奪われるというあまりにも理不尽な出来事と遭遇した人々が、その悲しみとどう向き合うかという話もまた繰り返される。第16回の須原屋市兵衛(里見浩太朗)の「本を出し続けることで、源内さんの心を生かし続ける」という思いと、第28回で意知の父である田沼意次(渡辺謙)の「(意知が)生きていれば成し遂げただろうことを代わりに成し遂げることで、山城の名を後世に残し、永遠の命を授けたい」という思いは同じだ。意知が「罪滅ぼし」として源内の遺志を継ぎ、「蝦夷地の一件」にのめり込んでいったように。今でも事あるごとに、蔦重が源内の言葉を思い出すように。源内は変わらず、それぞれの心の中で生き続けていて、意次の言う通り、意知もまた、そんな存在になった。そしてそれこそが「毒にも刃にも倒せぬ」「もはや失いようのない」強さを手に入れることなのだという、遺された人と亡くなった人の悲しくも美しい壮絶な連帯が、『べらぼう』並びに森下佳子脚本作品の哲学と言えるのかもしれない。

誰かの思惑で作られた「物語」を真実として、人は簡単に信じてしまう。自分の作った「物語」で世の中全体を操って楽しんでいる治済と対峙し得るのは、エンターテインメントという形で「物語を作る」蔦屋重三郎なのではないか。どんなにつらい現実も、夢に置き換えることを己の流儀として生きてきた彼ならきっと、奪われてしまった誰袖の笑顔を取り戻すことができるはずだ。
■放送情報
大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』
NHK総合にて、毎週日曜20:00〜放送/翌週土曜13:05〜再放送
NHK BSにて、毎週日曜18:00〜放送
NHK BSP4Kにて、毎週日曜12:15〜放送/毎週日曜18:00〜再放送
出演:横浜流星、小芝風花、渡辺謙、染谷将太、宮沢氷魚、片岡愛之助
語り:綾瀬はるか
脚本:森下佳子
音楽:ジョン・グラム
制作統括:藤並英樹
プロデューサー:石村将太、松田恭典
演出:大原拓、深川貴志
写真提供=NHK






















