“敵=悪”にしない『鬼滅の刃』の特異性 涙なしでは観られない猗窩座の“人間時代”

“敵=悪”にしない『鬼滅の刃』の特異性

 とはいえ、なぜ猗窩座は武器を持たない道を選んだのだろうか。人間時代は素手で闘う格闘家だったと先述したが、格闘家になる前は貧しさのあまり盗みを働くしかない少年だった。看病していた父を亡くし、やがて愛する者たちとめぐりあったことによって改心したが、彼はこの者たちの存在さえも失ってしまった。猗窩座の人間時代の名前は狛治。すべてを失ってしまった彼には、もう何も残っていなかった。己の肉体以外は。

 狛治は猗窩座という名の鬼となり、いつしか人間時代の記憶も消えた。けれども、彼を彼たらしめ、支えるのは、“信じられるのは己の肉体のみ”というある種の哲学だったのだろう。彼は弱い者たちを嫌う。力のない者たちは、ときに卑怯な手段を取るからだ。いや、生き延びるために卑怯な手段を取らざるを得ないからだ。力のない、弱い者なのだから。

 猗窩座は弱い者を嫌う。強くあらねばならない。強くなければ何も守ることはできない。もともとの彼は大切な人たちと生き抜くために強くあろうとしていた。しかし世の不条理を前に鬼になる道を選び、強くあろうとする生きながらえ方だけが残った。『猗窩座再来』の特定のシーンへの深い言及は避けるが、結論からいうと、猗窩座は炭治郎と水柱・冨岡義勇のコンビに敗れる(これはさすがにネタバレにはあたらないだろう)。人間ではない鬼たちは、首を斬り落とされないかぎり不滅だ。そして、彼ほどのレベルの鬼になると、ほかの鬼たちのようにはいかない。その肉体が炭治郎たちに負けることはない。しかし、彼は負けるのだ。負けを認めるのだ。炭治郎たちの真っ直ぐな強さに、彼の心は負けたから。

 私を含めた観客の多くが、劇中で明かされた彼の悲惨な過去に対して涙を流していたのだと思う。でも私はそれ以上に、彼の武士道精神に泣いた。『無限列車編』で炭治郎は猗窩座に「卑怯者」と言い放ったが、彼は決して卑怯者などではない。猗窩座はその身ひとつで闘ってきた。闘い続けた。どう死ぬのかは、どう生きたのかを示すものでもある。猗窩座の死に様は、彼の生き様をも示しているだろう。あなたにはどう映るだろうか。“強くある”という崇高な手段が目的化してしまった彼の悲しき生涯に、私たちは涙を流さずにはいられないはずだ。『猗窩座再来』は“アクション映画”としてだけでなく、“人間ドラマ”としても高いレベルで成立している。

■公開情報
『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』
全国公開中
キャスト:花江夏樹(竈門炭治郎役)、鬼頭明里(竈門禰󠄀豆子役)、下野紘(我妻善逸役)、松岡禎丞(嘴平伊之助役)、上田麗奈(栗花落カナヲ役)、岡本信彦(不死川玄弥役)、櫻井孝宏(冨岡義勇役)、小西克幸(宇髄天元役)、河西健吾(時透無一郎役)、早見沙織(胡蝶しのぶ役)、花澤香菜(甘露寺蜜璃役)、鈴村健一(伊黒小芭内役)、関智一(不死川実弥役)、杉田智和(悲鳴嶼行冥役)、石田彰(猗窩座役)
原作:吾峠呼世晴(集英社ジャンプ コミックス刊)
監督:外崎春雄
キャラクターデザイン・総作画監督:松島晃
脚本制作:ufotable
サブキャラクターデザイン:佐藤美幸、梶山庸子、菊池美花
プロップデザイン:小山将治
美術監督:矢中勝、樺澤侑里
美術監修:衛藤功二
撮影監督:寺尾優一
3D監督:西脇一樹
色彩設計:大前祐子
編集:神野学
音楽:梶浦由記、椎名豪
主題歌:Aimer「太陽が昇らない世界」(SACRA MUSIC / Sony Music Labels Inc.)・LiSA「残酷な夜に輝け」 (SACRA MUSIC / Sony Music Labels Inc.)
総監督:近藤光
アニメーション制作:ufotable
配給:東宝・アニプレックス
©︎吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable
IMAX® is a registered trademark of IMAX Corporation.
公式サイト:https://kimetsu.com/anime/mugenjyohen_movie/
公式X(旧Twitter):@kimetsu_off

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