『イカゲーム』シーズン3は多数決主義にメスを入れる デスゲームが映し出す現代社会の闇

『イカゲーム』S3は多数決主義にメスを入れる

 欧米には、“二匹のオオカミと一匹の羊が、夕食のメニューを決める”という比喩表現がある。羊を食べたいと思っているオオカミは多数派(マジョリティ)で、食べられたくないと思っている羊は少数派(マイノリティ)。この比喩が示唆しているのは、たとえ民主的な手続き(投票)を踏んだとしても、多数派の意思が常に少数派の権利や利益を圧倒し、踏みにじる可能性があるということだ。

 アメリカ合衆国第4代大統領のジェームズ・マディソンは、多数派がその力を行使し、少数派の権利を侵害する危険性を強く懸念していた。暴走を防ぐためには、どちらかが権力を持ちすぎない抑制と均衡(Checks and Balances)が必要だと感じ、アメリカの憲法に三権分立の概念を取り入れる。この思想は、立法府の構造にも顕著だ。上院と下院、衆議院と参議院といった二院制は、多様な意見をより広く集約し、多数派の独断を防ぐために作られた制度。まさしく、人類の叡智の結晶なり。決して、多数決=民主主義ではないのである。

 結局、この地獄のようなデスゲームを最後まで生き延びたのは、赤ん坊だった。主人公のソン・ギフンは、資本主義と多数決主義(多数派の専制)の生贄となり、自ら生命を落とす。「俺たちは馬じゃない。人間だ」という言葉を残して。これは、シリーズ1でフロントマン(イ・ビョンホン)と交わした「なんでこんなことをした?」「競馬ですよ。あなたたちは競馬場の馬なんです」という会話を受けてのもの。

 しかもソン・ギフンは、最期の言葉を投げかけるとき真正面を向く。つまり、ドラマを観ている我々に向かって話しかける。このセリフは、セレブたちへの強烈な異議申し立てであると同時に、デスゲームという黒い悦びに身を浸している観客への異議申し立てでもあるのだ。『イカゲーム』シーズン3は、デスゲームというジャンル自体を批評的に捉え、問い直しを求める。本作は、資本主義のみならず多数決主義にも踏み込んだ、“超”社会派ドラマであり、“超”自己批評的ドラマといえる。ファン・ドンヒョクの言葉を引用してみよう。

 「もともと、シーズン2と3を計画していたとき、ギフンを死なせるつもりはなかった。私が考えていたのは、ギフンが何らかの形で生きて帰ってきて……勝者になるかどうかは分からなかったが……会いに戻るというものだった。しかし、シナリオ執筆の過程で、世の中で起きていることを見渡してみると、そんな結末はあり得ないと気づいたんだ」(※2)

 世界を席巻した人気シリーズは、遂に幕を下ろした。もちろん、今後もスピンオフ的な展開は続くかもしれない。最後に登場したケイト・ブランシェット演じるスカウトマンは、近いうちにアメリカ版が登場することを予感させる(デヴィッド・フィンチャーが監督を務める噂もある)。しかしファン・ドンヒョクをはじめ、製作者たちがこのドラマを通じて描きたかったテーマは、これ以上ないくらいに伝えられたのではないだろうか。

 少なくとも筆者は、そう確信している。

参照

※1. https://www.ottplay.com/news/squid-game-creator-hwang-dong-hyuk-series-poses-questions-on-competitive-capitalism/d7df1b74db789
※2. https://variety.com/2025/tv/news/squid-game-creator-season-4-cate-blanchett-america-spinoff-1236443820/

■配信情報
Netflixシリーズ『イカゲーム』
Netflixにて独占配信中
出演:イ・ジョンジェ、イ・ビョンホン、イム・シワン、カン・ハヌル、ウィ・ハジュン、パク・ギュヨン、パク・ソンフン、ヤン・ドングン、カン・エシム、チョ・ユリ、チェ・グッキ、イ・デヴィッド、ノ・ジェウォン、チョン・ソクホ、パク・ヒスン(特別出演)
監督・脚本・プロデューサー:ファン・ドンヒョク

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