アカデミー賞脚色賞受賞作『教皇選挙』をネタバレありで解説 “挑戦的行為”の意義を考える
ここで注目したいのは、「コンクラーベ」の本来の意味である。そもそも教皇選挙とは、政治的なシステムだけでなく、神の意志を反映する聖なる行為だと位置付けられている。枢機卿団が「聖霊の導き」を得られるように、外部からの影響や世俗との繋がりを遮断し、祈りと思考に集中する環境が整えられているのである。その考えからいけば、このときのローレンスの考えは、あまりにもタイミングの良い“神の一撃”によって阻止されたという見方ができるのである。
ローレンスの言によれば、前教皇は聖職者を「羊飼い」と「農場管理者」の2タイプに分類し、ローレンスを後者に位置付けていたのだという。ここでの「羊飼い」とは、神の意志を感じとり人々を導く存在であり、「農場管理者」とは、さまざまなバランスを調整することで羊飼いの仕事を全うさせる存在ということだろう。
そのどちらもが聖職者だと前教皇が認めているように、これは決してローレンスが聖職者として不足だということではないはずだ。コンクラーベにおける不正や倫理的問題を次々に見抜いて、教会を正常化するべく必死に闘っていることが示すように、彼がそこで最大限のはたらきができるからこそ、前教皇は、自信を失っていた主席枢機卿のローレンスを、生前に慰留していたのだと考えられる。
前教皇のチェス仲間だったベリーニ枢機卿は、前教皇の腕前には敵わなかったと語り、「8手先を読んでいるんだ」と、その先見性、戦略性を評価している。それと同様、前教皇は生前から、自分の死後の選挙戦にも、さまざまな仕掛けをおこなっていたことに思い至る。本作で描かれるコンクラーベが一つのチェス盤だとするなら、前教皇は枢機卿たちを駒のように動かし、一つの結末へと至るように裏で事前に工作していたのだ。チェスにおける「クイーン」のように献身するローレンスの八面六臂の活躍もまた、前教皇の計画の内だったのだろう。
そして前教皇が密かに「キング」の駒に定めていたのが、ベニテス枢機卿その人である。前教皇は、厳しい環境のなかで人々を導き、高潔な魂を持っているベニテスこそ、混迷する現代の「羊飼い」の代表に相応しいと判断していたはずだ。だからこそ強引な人事をおこない、教皇選挙にねじ込んでいる。ローレンスは知らず知らずに、対立候補を追い落とすことで、ベニテスの勝利への道を敷設し、前教皇の計画を進めていたことになる。
選挙によってついに教皇となることが決まったベニテスが選んだ教皇名は、「インノケンティウス」。歴史上、複数の教皇が名乗った名前であり、その語源は、「Innocent(純粋な、無実の)」の源流でもある、ラテン語の「Innocentia(無害な)」に突き当たる。権謀術数にかかわらず、自分の信じる道を進んだベニテスに相応しいといえよう。
本作の物語における、原作小説と共通となる最大の仕掛けは、ベニテスが男性や女性に分類されない身体的特徴を持つ「インターセックス」であるという点である。このことにローレンスは、教皇決定後に気づくことになるのだが、彼までもが、その事実に困惑しているくらいなのだから、もしそのことをベニテスが事前に枢機卿団に公表していたとしたら、おそらく革新派たちですら投票にとまどいをおぼえたことだろう。
ここで一歩引いて、本作で映し出されてきた光景を思い出してほしい。保守派と革新派のぶつかり合いとはいえ、その実情は、高齢の男性たちの集団のなかの対立である。その時点で、もはやコンクラーベはまるごと、時代にそぐわない意志決定システムだと見ることができるのではないか。だからこそ、そんな環境のなかで自分の考えを一言述べたシスター・アグネス(イザベラ・ロッセリーニ)の活躍が、必然的に光るのだ。
劇中の教会内の常識のなかでの進歩は、まさに劇中で登場する亀の歩行ような、ゆったりしたものでしかない。アカデミー賞でも、投票権を持つアカデミー会員の人種、性別の割合の偏りを是正する見直しがはかられている最中であり、そういった意味でも、今回のアカデミー賞受賞は、メッセージ性を持つことになるだろう。
劇中で感動的なのは、ベニテスがローレンスに投票していた真意が明かされた瞬間だった。教会に常に疑問を投げかけ、悩みながら前へと進む教皇を望むとしたスピーチが、ベニテスの救いとなっていたのである。ローレンスの政治姿勢を押し出した発言は、主席枢機卿としての立場上、不適切な部分があることから、会場は険悪な雰囲気に包まれていた。しかし、それをも覚悟した心からの真摯な言葉が、一人の心を動かしていたのだ。
そう明かされた以上、ローレンスは今後起こり得る混乱を予期して逡巡をおぼえながらも、ベニテスを教皇に認めざるを得ない。終盤でローレンスが、ゆっくり進む亀を手助けし、一気に水場まで運ぶシーンがあるが、まさにこれは、一人の「農場管理者」が、ドラスティックな改革を成し遂げた象徴的イメージである。
この作品内での改革が、どれだけ急進的であるかは、皮肉にも現在の社会の反応が証明することとなった。「インターセックス」の特徴を持つ人物を描いた物語について、とくにキリスト教圏の保守派は「挑発的」だと反発し、トランスジェンダー差別者もまた、「インターセックス」をトランスジェンダーであると混同しながら、同様の差別的言動をぶつけている状況があるのである。
劇中のサプライズに対しては、人間の身体的な特徴を物語のギミックとして利用するような判断に、懸念される部分はありながら、それ以前に、性の多様性や身体のあり方に対する無理解や偏見、差別が蔓延しているからこそ、本作が撮られ、多くの観客が鑑賞することには意義があるといえよう。そして、カトリックを信心する人々の心の拠りどころであり、教会の象徴的な存在である教皇と繋げた発想それ自体が、原作小説と本作に共通する挑戦的行為であったといえるのである。
この世紀の大仕事を成し遂げることになったローレンスとベニテスは、前教皇のチェス盤の駒であることを超えたことになる。前教皇はベニテスの高潔さを認めながら、手術により身体の一部を摘出することを望んでいたのだ。しかし、ベニテスはその要求を最終的に退け、「神に造られたままの」肉体であることを選ぶのである。むしろ、このような意志を持つからこそ、ベニテスは神の声を実現する教皇に相応しいともいえよう。
そして、それを知った上で、悩みながらも前に進んだローレンスもまた、前教皇の思惑であるチェスの盤上を逸脱し、教会の慣習や伝統、世の中の常識を超越し、自分の意志を本来の宗教的な倫理観へと結び直すことができたのだと思われる。彼がラストシーンで、これからの時代を作るだろう若いシスターたちの姿を見つめる瞬間は、本作『教皇選挙』のたどり着いた結論を象徴する、見事な描写である。
参考
https://variety.com/2024/artisans/news/conclave-movie-sistine-chapel-replica-1236167640/
■公開情報
『教皇選挙』
全国公開中
出演:レイフ・ファインズ、スタンリー・トゥッチ、ジョン・リスゴー、イザベラ・ロッセリーニ
監督:エドワード・ベルガー
脚本:ピーター・ストローハン
原作:ロバート・ハリス『CONCLAVE』
配給:キノフィルムズ
提供:木下グループ
2024年/アメリカ・イギリス/英語・ラテン語・イタリア語/カラー/スコープサイズ/120分/原題:Conclave/字幕翻訳:渡邉貴子/G
©2024 Conclave Distribution, LLC.
公式サイト:https://cclv-movie.jp
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