『映画 聲の形』静謐な物語と寄り添う音楽 『きみの色』に繋がる山田尚子の“色”の始まり
新作映画『きみの色』の公開を8月30日に控えた山田尚子監督による長編アニメ『映画 聲の形』(2016年)が、8月16日に日本テレビ系『金曜ロードショー』で放送される。大今良時の漫画を原作に、耳が不自由な少女をいじめた過去を悔やんでいた少年が、自分を取り戻していくストーリーが繊細な絵によって紡がれていて、脚本の吉田玲子、音楽の牛尾憲輔の仕事とともに、最新作に繋がる山田尚子監督の“色”の始まりを感じ取れる。
いじめとハンディキャップ。社会の中で今も取り沙汰される課題を、静かで柔らかいタッチの映像の中に描いて、どのように向き合えばいいのかを考えるきっかけをくれる。『映画 聲の形』はそんな意義を持つ長編アニメだ。
小学生に転入してきた西宮硝子は耳が不自由で、喋りもつたなかったが、周囲がサポートすれば普通に暮らすことができる少女だった。だったら皆で面倒を見てあげればいいのでは、というのは世間を分かった大人の認識。子供はちょっとした配慮でも特別なことと思って羨み、排除しようとする。
いじめの始まり。中でも石田将也は、クラスの硝子に向けるネガティブな感情を代弁するように攻撃を繰り出し、高い補聴器を壊してケガを負わせてしまう。すると今度は将也がワルモノとして無視やいじめの対象となってしまう。
昔からあって今もなくならないいじめという問題を、『映画 聲の形』は正面から描いていて、いじめていた人もいじめられていた人も共に心に残っている苦い記憶を刺激される。映画の冒頭で、高校生になった将也が川にかかった鉄橋に立ち、欄干を越えて飛び込もうと考えるシーンに、子供のやんちゃな振る舞いが将来に深いキズを残すこともあると思い知らされる。
もう取り返せないのか? そうではないということを見せてくれるのが、この『映画 聲の形』という作品が持つひとつの役割だ。川に飛び込む前に硝子が昔使っていたノートを返そうとして、将也は福祉会館で開かれている手話の教室を訪ねていく。そこで硝子と再会した将也は、少しだけ覚えていた手話で硝子に「友達になれるかな」と話しかける。
停まっていた将也の時間が動き始めた。その行く先には、さらにいくつもの困難があって、その度にやはりどうしようもないのかといった諦めの思いも浮かんでくる。ただ、橋の欄干から飛び込もうと考えた時とは違って、将也は逃げないで困難を乗り越えていこうとする。自分の非を認め、周りにいた人たちにもあった誤りに気づかせ、もう後悔は残さないようにしようと踏ん張る。わが身を傷つけてでも硝子を守ろうとする姿に心を打たれる。
ここで重要なのが、『映画 聲の形』は硝子という少女を、決して無垢な天使のような存在にはしていないことだ。硝子との再会は将也だけでなく、小学校時代の同級生だった植野直花にも、当時どのような感情を硝子に抱いていたかを思い出させる。そこで植野は、将也のように懺悔せず、硝子にもあった落ち度を挙げて悟らせようとする。
ハンディキャップのある人たちと社会は、どのように向き合っていったらいいのか? そうした課題について考える機会を与えてくれるところが、『映画 聲の形』のもうひとつの役割だ。
ハンディキャップのある人たちに“空気を読め”と言うような植野の主張をストレートに肯定することは難しい。誰もが何に対しても申し訳ないと思うことがなく生きられる社会の実現とは正反対の考えだからだ。ただ、こうした植野の考え方を土台に、多様な人たちが同時に生きていける社会の実現に必要なことは何かを教えていくことはできる。その意味で気づきを与えてくれる作品だ。