『ザ・ボーイズ』S4は何を描いたのか 現実味を帯びすぎて“笑いづらい”本作と我々の未来

『ザ・ボーイズ』S4のテーマを徹底解説

 『ザ・シンプソンズ』や『サウスパーク』など、これまで奇遇にもフィクションの世界で風刺され、茶化されてきた“ありえないような現実”が、未来予知をしたかのようにリアルの世界の“いま”に重なることはあった。『ザ・ボーイズ』はこれまで現実に起きた馬鹿馬鹿しいことをジョークとして扱ってきたが、シーズン4、特に最終話は、奇しくも予言のような展開になってしまった。そんな本シーズンが何を描いたのか、振り返りたい。

テーマは「復讐と赦し」

 相変わらず“絶好調”だった『ザ・ボーイズ』S4。ゴア描写や過激な下ネタはもちろん、これまで幾度となく使われてきた、1話の中で複数の登場人物の身に起こること、体験や感情をパラレルに描く手法も健在。そんなS4でフォーカスされていたのは、登場人物たちの過去と過ち、因縁と復讐、赦しと人間性である。

 フレンチーはコリンが以前の仕事で殺した一家の生き残りであることを知りながら、自分が彼にしたことに目を瞑り体の関係を持つ。キミコは自ら光解放軍の闘技場に引き摺り込んだ女性タラと再会。アニーもファイアクラッカーと再会し、幼かった頃の自分の邪悪な所業と結果を思い知らされる。ボーイズのオフィスでやけ酒をしていた姿が印象的なこの3人は、今シーズンでもう赦されない自らの罪と闇に向き合うことになる。

 罪と闇といえばブッチャーもV24接種の副作用で脳腫瘍が悪化し、幻覚を見るようになる。その幻覚が救えなかった昔の仲間であることから、彼も過去の罪や後悔に向き合っているのだ。そして余命が少ないことを実感しながら、最期に後悔を残さないようにライアンの道を正そうとする。

 一方、前シーズンで自らの闇に向き合ったマザーズミルクは、離婚した妻から赦しを受け、ヒューイは前シーズンに引き続き、Aトレインの謝罪を受け入れるか葛藤。さらに幼少期の自分を捨てた母との再会に苦汁をなめる。そんな彼らの描写に、キリスト教的な考え方がかなり密接していた点が興味深い。

 特に、アニーと新キャラクターであるファイアクラッカーの衝突を描いた第4話「時の知恵」は、シーズン1の第5話「信念」に登場したビリーブエキスポの主催者エゼキエルも登場し、テーマとキリスト教の宗教観の関わりを強く印象づけている。元来、聖書では「復讐はしてはいけない」と説かれているのだが(マタイによる福音書第5章38〜48節)、ファイアクラッカーは過去の発言が許せないアニーを攻撃し、アニーはその攻撃に暴力で応えてしまう。そして最終的に、シェイプシフターに襲われた彼女は体と記憶を奪われ、文字通り目の前に立つ“もう1人の自分”と対峙しなければいけなくなってしまった。

 敬虔なキリスト教徒な教えの中で育ったアニーがひどい悪口を言ってしまっていたこと、その報いを受けるアイロニーにはじまって多くの登場人物が過去の過ち、そして過去に受けた仕打ちに囚われ、復讐心に駆られた中で、「復讐をせず、赦す(kill with the kindness)」というキリスト教の教えを体現したのが、他でもないヒューイだった。

ヒューイが体現する人間性と脱人間性を試みるホームランダー

 これまで紹介してきた第4話がおそらくシーズンの中で一番興味深いと感じるのは、そこに交差してホームランダーの“帰郷”が描かれている点にある。息子のライアンがブッチャーに会いに行ったことで感情を制御できなくなったホームランダー。そんな彼が“邪悪な潜在意識(もう1人の自分)”に「今こそ愛への渇望という病を克服するときだ」と言われ、辿り着いたのはかつて幼い自分が“育った”研究所だった。彼はここで自分の中に残る人間性から脱するために、自分を拷問してきた研究員の職員を惨殺する。しかし、皮肉にも、所長であり彼にとっての母親代わりだったバーバラを殺すことはできなかった。

 これまでもホームランダーは、散々ひどいことをしておきながら母乳や“母親”に弱かったり、自分を崇め従順になる相手を気に入ったりしてきた。砕けた表現をすると、「なんだかんだ爪が甘くてチョロい」のが彼の性格だったのだ。そしてそれを裏付けるかのように、研究所で行われたバーバラとの会話から、彼がどれだけ非人道的になろうとしても最終的に「承認と愛」を求めてしまうカラクリが明かされ(幼少期から世界一の精神科医の手で“そうなるように”プログラムされてきたから)、人間性を捨てることがほぼ不可能であることが証明されてしまう。正直言って、それを「最大の成功」と本人に言い切ってしまうバーバラの方がこの場面でホームランダーよりよほど非人道的である。

 人間から神になろうとする彼を、悪魔のような人間が制御する恐ろしいやり取りの背景で描かれるのは、反対にヒューイが体験する“ごく普通な”人生の一局面……父親との別れである。S4の前半、ヒューイは脳卒中で意識不明になってしまった父ヒュー(サイモン・ペッグ)の面倒をみるために病院に通う。いつものどうでもいい電話だと思って取らなかった着信、もうさようならも伝えられない最愛の父。ヒューイは物語の最初から私たち鑑賞者に一番近い立場にいたが、この「そういうことも生きていたら起こりうるんだよね」という彼を取り巻く人間らしい状況、やり取りそのものがホームランダーのストーリーラインに対する強烈な対比になっているのだ。

 思い返せば目の前で彼女がAトレインに“轢き殺された”、ヒューイの復讐から始まった『ザ・ボーイズ』の物語。しかし、Aトレインはシーズン3で自らの過ちに向き合い、反省し始めた。ヒューイにも謝罪をし、シーズン4では密かにザ・ボーイズに手を貸すように。アニーが過去の発言によってファイアクラッカーから赦されず、彼女の復讐に対してさらに暴力で返した第4話。その一方でヒューイはAトレインだけでなく、かつて自分と父を捨てた母親とも向き合い、最終的にどちらのことも赦すことにしたのだ。

 そんな彼だからこそ最終話で「暴力は勇敢じゃない。誰かを憎むことが正しさではなく、赦すことや情けをかけることが勇敢だ」と語りかけ、バラバラだったチームのみんなの心を一つにできたのである。しかし、そんなヒューイの模倣性や人間らしさ、ボーイズのみんなが深めた絆でも立ち向かえない“最悪の状況”がやってきてしまった。

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