原爆の街を描いた『リッチランド』が日本公開される意義 “他者を知る”ことから始める一歩
第96回アカデミー賞作品賞を受賞したクリストファー・ノーラン監督の『オッペンハイマー』は、日本人にとって特別な意味を帯びた作品だった。ノーランは日本でも人気のある作家だが、その彼が念願のオスカーを受賞した結果そのものよりも、何が、どういう姿勢で原爆の開発者が描かれているのか、という点が注目された。
被爆国である日本にとって、原爆を客観的に見つめることは困難を極める。しかし、そもそも被爆国である日本が客観的に原爆を語るべきか。当事国にしか語れない言葉も存在する。ならば、世界に対する責任として被爆国の言葉を紡ぐべきという考えもある。
それは、原爆投下をめぐる「もう一つの当事国」であるアメリカにも言えることだ。原爆を落とした国は世界でひとつしかない。その立場からではないと語れないことがあるはずだ。筆者が『オッペンハイマー』という映画に期待したのは、もう一つの当事国ならではの語りがあるかどうかだった。
『オッペンハイマー』は、原爆開発者の心の内面にフォーカスした作品だった。それもまた重要な視点だが、核兵器とアメリカの関係は開発者を描くだけでは語り尽くせない複雑さがあるはずだ。もう一方の当事国の、その複雑さを知る機会が別にあるといいなと筆者は思った。
7月6日から公開されるドキュメンタリー映画『リッチランド』は、そんな『オッペンハイマー』だけでは拾い上げられなかった、もう一つの原爆当事国アメリカでなければ語れない言葉が溢れた作品だった。本作の公開は、日本人にとって、もう一方の当事国という他者の声を聞く貴重な機会と言える。
原爆の町に暮らす人々の複雑な胸中
『リッチランド』は、マンハッタン計画によって建設された核燃料生産拠点「ハンフォード・サイト」で働く人々のために作られた町だ。長崎に落とされた原爆のプルトニウムはここで精製された。終戦後も冷戦下の核開発競争で重要な役割を果たした町だ。町の高校の校章はキノコ雲で、アメリカン・フットボールチームの愛称は「ボマーズ(爆撃機)」である。
映画ではそんな町に暮らす人々の平和な暮らしを映し出す。見たところ、典型的なアメリカ中産階級の郊外の町という風情で、かつて謳われた郊外の「アメリカン・ドリーム」を体現しているようにも見える。原爆がアメリカン・ドリームを叶えてくれたというのか、そんな気持ちもよぎる。
核開発当時のことを知る中高年世代は「原爆は町の誇るべき業績」という。だが、その表情や声色には誇りだけでなく、少しばつの悪そうな雰囲気も滲む。まるで自分に言い聞かせているような印象だ。町の外の人間には、大量破壊兵器で飯を食べている人々と非難されることもあるのだろう。原爆で繁栄を享受したことに対して、単純には言い表せない複雑な胸中があることを匂わせる。
この町に暮らす人々の考えも一枚岩ではない。兄をこの町で亡くしたと語る女性は、かつて新生児や乳児の死亡が相次いでいたことをカメラの前で告げる。また別の女性は、父を放射線の被曝で失った経験を語る。また、数人の高校生たちがキノコ雲の校章は恥ずべきもので変更すべきだと議論するシーンもある。かつてキノコ雲の校章に疑問を呈したら、批判にさらされた高校教師も登場する。世代間によっても原爆に関する受け止め方は異なるようだが、その意見が多勢を占めるわけでもないこともまた示唆される。
リッチランドが原爆によって繁栄したことは疑いようのない事実であり、人々はその恩恵を受けて生活している。それを象徴するキノコ雲を否定するのは、自分たちの生活を支えた基盤そのものの否定だと感じられるのだろう。核施設で働いていた父を被曝で失った女性は涙ながらに、「(父が原爆で一生懸命働いてくれたお陰で)大学にも行かせてくれた」と語る。彼女の人生は確かに原爆によって支えられている。
この映画は、そんな町の人々の言葉と顔を、批判的でもなければ同情的でもなく、冷静に映し出している。