『昭和ブギウギ』著者・輪島裕介は『ブギウギ』をどう観た? 笠置シヅ子の功績を聞く

 笠置シヅ子をモデルとした主人公・福来スズ子(趣里)の半生を描いたNHK連続テレビ小説『ブギウギ』が最終週に突入している。朝ドラでは異例とも言えるほぼ毎週のステージパフォーマンス、骨太の人間ドラマで多くの視聴者を魅了してきた。そして、本作で欠かせなかったのが、スズ子のモデルである笠置シヅ子が歌っていた楽曲の数々。現在も歌い継がれる「東京ブギウギ」や「買物ブギ」はもちろん、戦前の「ラッパと娘」をはじめとした多彩な楽曲がドラマを彩った。

 そんな本作をさらにもう一段階深いところまで味わえる書籍が、輪島裕介氏の著者『昭和ブギウギ 笠置シヅ子と服部良一のリズム音曲』(NHK出版)。スズ子のモデル・笠置シヅ子、羽鳥善一(草彅剛)のモデル・服部良一がどんな人物で、どんな思いで、“エンターテインメント”で当時の日本を照らしていたのかが理解できる一冊となっている。戦前戦後の日本のあり方、そして楽曲の数々について知ることで、さらに『ブギウギ』を楽しめるはずだ。

 輪島氏に『ブギウギ』を観ての率直な感想から、日本エンタメ史における笠置シヅ子、服部良一の功績までじっくりと話を聞いた。(石井達也)

『ブギウギ』でも描かれた“銭湯での歌唱”は重要

『昭和ブギウギ 笠置シヅ子と服部良一のリズム音曲』(NHK出版)

ーー朝ドラ『ブギウギ』もまもなく最終回を迎えます。音楽研究者である輪島さんの目から見て、『ブギウギ』はどう映っていたのでしょうか?

輪島裕介(以下、輪島):第1話が「東京ブギウギ」から始まったこともあり、戦後を中心に描くと思っていたんです。でも、戦前の笠置シヅ子の楽曲もしっかりと描いて、服部良一との最初のタッグ曲でもある「ラッパと娘」にも注目が高まったのはすごくうれしかったですね。戦前から少女歌劇団が存在していたことや、ステージのショーやレコード流行歌(歌謡曲)のあり方などが作品を通して多くの人に伝わったのはよかったなと思います。

ーー私も「東京ブギウギ」や「買物ブギ」は知っていましたが、「ラッパと娘」は本作で初めて知りました。しかも、とてもカッコいい曲で驚きました。

「ラッパと娘」(笠置シヅ子) オフィシャルオーディオ

輪島:そうなんです。もちろん「東京ブギウギ」は昭和歌謡としても、笠置シヅ子としても、とても重要なんですけども、「ラッパと娘」と「買物ブギ」が何よりも重要な楽曲だなと『ブギウギ』を観ていてあらためて感じました。「ラッパと娘」は現代の音楽好きな方にとっても、十二分に魅力的な楽曲のはずです。R&BやHIPHOPにつながっていくような、アメリカ黒人音楽のカッコよさを、1939年時点ですでに体現しているんです。しかも、歌詞を無理やり英語に寄せるわけでもなく、そのままコピーするわけでもなく、すごくこなれた日本語の歌詞で、しっかりと取り入れている。それが戦前に完成されていたんだから驚きですよね。一方、「買物ブギ」には、彼女のワイルドな魅力は共通していますが、「ラッパと娘」のアメリカ的な洗練とは異なる要素、庶民の語り口だったり大阪特有のボキャブラリーだったり、ある種の猥雑さが、自由闊達に取り込まれています。これも現代の音楽にはなかなかない楽曲であり、今なお多くのアーティストがカバーし続けているのも、その唯一無二性ゆえだと思います。

ーー『昭和ブギウギ』を読んでなるほどと感じたのが、笠置シヅ子も服部良一も、音楽学校で“勉強”をしていた人物でないという部分。『ブギウギ』でも少女期のスズ子が実家の銭湯で歌う描写がありましたが、それが当時のほかの歌手が持っていなかった“魅せる”独自の魅力につながっていくと。

輪島:史実でも笠置シヅ子の実家は銭湯ですが、ともすればカットすることもできたと思うんです。でも、彼女を形作る上では非常に重要な場所だったと思うので、しっかり描いてくれたのはよかったですね。さらに欲を言えば、銭湯のお客さん、おっちゃんたちの間に、芸自慢の人とかがもう少しいると、より腑に落ちるというか。お客さんたちを含めていろんな人が銭湯で好き勝手に歌ったり語ったりして、当時としては他にあまりないそんな空間に身を置いていたからこそ、彼女のエンターテイナーとしての素養が身についていった。スズ子はもともと歌が上手で、音楽が好きで、という描かれ方で、それはドラマとしてはもちろんいいのですが、その最初のきっかけが、銭湯にやってきた市井の人々とのやりとりの中にあった……と描いてくれていたら完璧だったなと思いました。ないものねだりです(笑)。

ーーほかに史実と比べて気になるところはなにかありましたか?

輪島:大前提として、笠置シヅ子の数々の楽曲の魅力を伝えること、ステージの再現度、ドラマとしての構成など、非常に素晴らしいと思います。ただ、これは重箱の隅をつつくようなことになってしまうのですが、お芝居、映画、歌が“分けて”描かれていたのが少し気になりました。服部良一も笠置シヅ子も、「レコード」を出発点に出てきた人ではないところがおもしろい点なんです。笠置シヅ子は「歌手」というよりも歌って踊る「エンターテイナー」。服部良一も、映画や舞台の曲もレコードの流行歌もどっちも手掛ける作曲家。そんな「歌」一本だけではない2人だったからこそ、現代にも通じる名曲の数々が生まれたと思っています。『ブギウギ』でも梅丸少女歌劇団を描いているように、まったく描いていないということではないのですが、戦前戦後のエンターテインメントの世界の配置の仕方といいますか、見せ方がもうひとつあったら、日本のエンタメ史をより理解できる作品になったのではないかなと。ただ、あくまで『ブギウギ』は福来スズ子の物語なので、これもないものねだりですかね(笑)。

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