『春になったら』木梨憲武と奈緒、父娘の会話に涙 出産シーンが表す生命の奇跡

『春になったら』木梨憲武と奈緒の会話に涙

 『春になったら』(カンテレ・フジテレビ系)第10話で冒頭のパートを占めたのは出産シーン。二十歳の亜弥(杏花)の初産は難産だった。陣痛が始まっても産まれる気配はなく、夜通しかけても産まれてこなかった。担当の瞳(奈緒)は妊婦の手を取って支え続けた。

春になったら

 出産を経験していない人は、子どもは自然に生まれてくると思いがちだ。なかなか産まれてこない赤ん坊と長尺の出産シーンが、出産の大変さを物語っていた。この世に生を受けることには多くの人が関わっている。そのことを知ると、なおさら命は奇跡だと感じる。出産前に不安そうだった妊婦が、出産を経て母親の顔になったのも印象的だった。

春になったら

 メインで担当する初めての出産を終えて、瞳は雅彦(木梨憲武)の病室へ向かった。雅彦が目を覚ましたとき、かたわらに瞳がいた。父は娘に「家に帰ろう」と言った。在宅医療に切り替えた雅彦は、住み慣れた自宅でリラックスした表情を見せる。瞳と一馬(濱田岳)は結婚式のプランを練り直した。

春になったら

 『春になったら』は体力が必要なドラマだ。余命わずかな父親の闘病を描く本作は、生と死という重いテーマを扱っている。作品全体が温かく柔らかな雰囲気をまとっているので気付きにくくなっているが、毎話観終えてから、体の中にずっしりした質量が残る感覚がある。

春になったら

 それは決して悪いことではなくて、演じ手自身が生と死の重みを感じた上で、演技に取り組んでいる証拠でもある。命の重さを伝えずに『春になったら』という作品が成立しないことを作り手は承知している。だからこそ、家族の死をただ描くのではなく、季節の移ろいに合わせて日常の風景を切り取りながら、視聴者が共時的に体験できるようにしている。家族の一員になることや赤ちゃんの誕生を取り上げることは、単なる対比以上の意味があって、生きることと死ぬことを同じ視野に入れることで、その間にある人生をいとおしみ、自分自身や周囲の人への眼差しが変わる。

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