『Mr. & Mrs. スミス』が描く結婚の現在 ドナルド・グローヴァーによる「This is Marriage」

『Mr. & Mrs. スミス』が描く結婚

 結婚という制度は未だに有効なのだろうか? 社会を効率的に稼働させるために男女を契約で1組にして、人生というミッションに挑ませる。この制度の有効性を疑わない連中は、なぜか同性同士の結婚も許してくれない。それは自分たちで子供を作り、育てることが前提となっているから? 養子も認めないで? とにかく社会というシステムが恐怖しているのは、ロマンスで結ばれている「ふたり」である。「ふたり」が愛し合う力は反社会的でどうにもできない。世界のすべてが敵になろうとも、というお決まりの文句で結ばれている恋人たちは、社会を転覆させかねない。わかる。社会はこの強大な力を恐れている。この力を制限するために結婚制度は2を3にする。女と男と社会(国家)をトライアングルにするのだ。三角の構造が監視体制として優れているのは言うまでもない。

 2005年、ダグ・リーマン監督、アンジェリーナ・ジョリーとブラッド・ピットが主演の映画版『Mr. & Mrs. スミス』は、結婚生活のあるあるをコメディとアクションの両方面からエンターテインメントに昇華しており、主演ふたりのスター映画としても(現在の視点で観ても)十分に楽しめる作品なのだが、2時間という映画の形式上、前述したトライアングルについての描写は希薄である。今回、Prime Videoで配信されたマヤ・アースキンとドナルド・グローヴァー主演の『Mr. & Mrs. スミス』はドラマシリーズの形式、全8話で見事にトライアングルを描いている。

Mr. & Mrs. スミス

 第1話の開始早々、どこかアンジェリーナ・ジョリーとブラッド・ピットを彷彿とさせる工作員のジェーンとジョンが登場する。どうやら謎の追手から逃げているらしい。スローモーションや音楽の使い方も含め、どこか2005年版を彷彿とさせるアクションシーンが始まるのだが、奮闘むなしく、ふたりの逃避行は死で幕を閉じる。幸せは長くは続かない。2005年版をあっさり仕留める堂々の開幕宣言で、新しいジェーンとジョンの物語が幕を開ける。

 2005年版のジェーンとジョンはお互いに殺し屋であることを隠したまま結婚生活を送っており、それがふたりのすれ違い、揉め事の発端になっていたが、今回は、それぞれが工作員として、自ら偽装結婚ミッションに志願した設定になっている。結婚生活のあるあるを体現する(暮らしに余裕がある)ジェーンとジョン、ふたりのスミスが日系アメリカ人とアフリカ系アメリカ人でも、なんの違和感もないことに、映画版から20年の年月が経過したことを実感させられる。

Mr. & Mrs. スミス

 ふたりが住むことになるのは2005年版のニューヨーク郊外にある植民地様式の豪邸ではもちろんなく、一見すると普通のタウンハウスだ。しかし、ふたりのためにプールやガレージ、屋上庭園など、2500万ドルほどかかる改築が施されたようで、隣人はあまりに急速な家の変化、そして、そこに引っ越してきたふたりに怪訝な顔をする。これがなんのメタファーか、わかる人にはわかるだろう。ここでソーシャルメディア上のくだらない意見を取り上げることはしたくない。

 用意された家、用意されたパートナー、そして、用意された指令はどこかリアリティーショー的でもあるが、そこに潜入するカメラと編集のトーン&マナーは紛れもなく映画である。ヒロ・ムライが監督した第1話を観てみよう。モノリスのような長方形の機械と正対しながら、偽装結婚の面接を受けているふたりの顔を正面から捉えるアップショットと、迷宮のような家の中をそれぞれ探索するシーンがカットバックされ、キャラクターと家の説明を簡潔にしていく。すると、視聴者もハッとするタイミングで、ふたりは室内のエレベーターで初めて出会う。このエレベーターの行き先は上か下か。ここでタイトルテロップが出る。

Mr. & Mrs. スミス

 自己紹介する間もないまま、備え付けのPCにふたりを雇った謎の組織からメッセージが届く。ふたりはそのスミス専用メッセージツールに「Hihi(以下、ハイハイ)」と名付ける。どうやらターゲットから箱を盗まないといけないらしく、尾行するためカフェに移動する。テーブルを挟んで対面しながら会話するふたりをジェーンはやや上から、ジョンはやや下から、それぞれ違うアングルの切り返しのショットで見せる。当然だが、こんなショットはリアリティーショーでは見れない。

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