『かがみの孤城』で考えるフィクションの役割 童話的な“オオカミの恐怖”が持つ意味とは
注目すべきは、『忍たま乱太郎』や『名探偵コナン』で知られる高山みなみが、皮肉屋でゲームを愛するマサムネ役を演じていることだろう。ちなみに『かがみの孤城』では彼女の演じるコナンの名台詞を聞けるという、ファンにはたまらない演出が施されている。
声に関する遊び心は、別のシーンでも見受けられる。こころが母親と「心の教室」へ入るシーンでは、子どもたちの声の中に、矢島晶子の演じる“あの幼稚園児”の「これ、オラのだぞ!」というセリフが隠されているのだ。これは、過去に『クレヨンしんちゃん』の映画を手掛けた原恵一が本作の監督を務めていることとも関連しているのだろう。初見ではなかなか難易度が高いので、耳を澄ませて聞いてほしい。
そしてやはり、映像で描かれるオオカミさまのスケールと“恐怖”は、実際に目の当たりにすると圧倒されてしまう。広大な城で孤独に陥る不安感を演出するオオカミさまの正体は、実は病気で学校へ行けなかったリオンの姉・ミオだった。
美しく神秘的な城には、夕方5時を過ぎてもまだ城にいる子はオオカミさまに“食べられてしまう”という恐怖のルールが設けられている。映画内で丁寧に描かれる彼女の生い立ちを知ると、その「食べる」という行動の背景にあるのは、ミオはこのゲームを通じて自身が感じている死への恐怖を分かち合いたいという願いなのではないかと感じた。
一方で、学校に行けない子どもたちに対する、彼らがまだ“明日死ぬわけではない”という仄暗い羨ましさもあったのかもしれない。普段通りに生活する子どもたちと、ともに遊ぶ楽しさと自分が抱える死の恐怖という、相反する感情を共有したい。まさにこの城は、オオカミであるミオの矛盾する想いが、あわせ鏡のように強く映しだされた「孤城」なのだろう。
学校とは、子供たちが家庭の外で初めて触れ合う社会の縮図である。つまりは、彼らが大切な時間を共有し、友情や知識を育む場所だ。大人にとっては、この役割を職場が担うこともあるに違いない。
そんな社会から疎外されたとき、扉を開いてくれる『かがみの孤城』は、映画や本というフィクションの役割そのものを象徴しているようにも思える。時には、ミオのように暗い気持ちが投影されることもあるかもしれない。それでも現実から一時的に逃れ、心に風をゆっくりと通す場所。『かがみの孤城』とは、そういう場所なのだ。
■放送情報
『かがみの孤城』
日本テレビ系にて、2月9日(金)21:00〜23:09放送
※放送枠15分拡大
声の出演:當真あみ、北村匠海、吉柳咲良、板垣李光人、横溝菜帆、高山みなみ、梶裕貴、矢島晶子、美山加恋、池端杏慈、吉村文香、藤森慎吾、滝沢カレン、麻生久美子、芦田愛菜、宮﨑あおい
原作:辻村深月『かがみの孤城』(ポプラ社)
監督:原恵一
脚本:丸尾みほ
©︎2022「かがみの孤城」製作委員会