『鬼滅の刃』柱稽古編は単なる“繋ぎ”ではない ワールドツアー上映で描かれた切迫感

 『鬼滅の刃』が映画館のスクリーンに帰ってきた。『ワールドツアー上映「鬼滅の刃」絆の奇跡、そして柱稽古へ』が2月2日から公開となり、TVシリーズ『鬼滅の刃』刀鍛冶の里編のクライマックスと、今春から放送が始まる『鬼滅の刃』柱稽古編の第1話を上映。これまでの激闘を振り返りつつ、これからさらに過酷な死闘が始まることを予感させてくれる。

 鬼舞辻無惨と上弦の鬼たちを相手にした決戦への軽めのインターミッション。そんなイメージを持たれがちな「柱稽古編」が、最後の死闘へと向かう者たちの覚悟を問い、それぞれが能力を極限を超えて引き出そうと足掻く重たいプロローグに変質した。『ワールドツアー上映「鬼滅の刃」絆の軌跡、そして柱稽古へ』を観終わった人は、吾峠呼世晴による原作漫画を読んでいるならそうした違いを感じ取り、アニメで展開を追っている人でも、これからとてつもない戦いが待っていることを予感するだろう。

 鬼舞辻無惨という鬼に家族を皆殺しにされ、生き残っていた妹の禰豆子も鬼に変えられていた竈門炭治郎が、禰豆子を元に探す方法を探して鬼殺隊に入り、無惨配下の強い鬼たちを相手に戦っていく。『鬼滅の刃』という作品では、ストーリーの上で常に多くの命が失われ、悲劇が繰り返されて、原作を読む人やアニメを観る人の心を震わせてきた。

 「刀鍛冶の里編」と呼ばれるTVアニメの現時点での最新シリーズでも、刀を打ち直してもらいに行った刀鍛冶の里で、温泉に浸かったり甘露寺蜜璃という恋柱の少女と交流したりといった、楽しげな冒頭が一変して上弦の鬼たちとの凄まじい戦いへと突入。霞柱の時透無一郎や、炭治郎と同じ時に鬼殺隊に入った不死川玄弥も加わった戦いは、無一郎が上弦の伍の玉壺と対峙し、上弦の肆の半天狗に炭治郎、玄弥、そして蜜璃が挑んで共に苦戦を強いられる。

 TVシリーズ「刀鍛冶の里編」で描かれたその結末が、今回の『ワールドツアー上映「鬼滅の刃」絆の奇跡、そして柱稽古へ』の前半で上映される。分身をする半天狗の一部を蜜璃に任せ、逃げる本体を追う炭治郎と玄弥、そして禰豆子がどのようにして半天狗を倒したのか。そこにはどれだけの逆転のドラマがあったのか。詳しくは作品を観てもらうとして、「絆の奇跡」とサブタイトルに取られたように、それぞれが持つ能力なり知見を集め、協力することで上弦の鬼でも倒せることが確認されたエピソードだった。

 「刀鍛冶の里編」ではほとんど出番のなかった我妻善逸にも重要な役割が与えられていて、それによって炭治郎は戦いに生き残ることができた。孤高を貫いていた無一郎も他人の強さを認めて自分を取り戻した。そうして大きく成長した鬼殺隊であり柱たちが、禰豆子を狙って本格的な活動を始める無惨に対峙するために、今一度鍛え直そうとする。漫画の「柱稽古編」はそうした流れに沿って描かれている。

 これは、『ワールドツアー上映「鬼滅の刃」絆の奇跡、そして柱稽古へ』でも同様だが、どうして柱稽古を行わなくてはならないのか、そこで何を目指すべきなのかが原作よりも強く明示されているような印象を受ける。

 お館様こと産屋敷耀哉の屋敷に集合した柱たちは、耀哉がすでに人前に立てないくらいに弱っていることを知り、自分たちがさらに強くなれることを聞かされる。攻勢を増してくるだろう無惨に対して自分たちには後がない。ならばここを最終決戦として無惨に挑まなくてはならない。そのためには自分たちも覚醒する必要があるといった切迫感をそれぞれが持って、柱稽古に臨んでいる。

 最強に近い者たちが、一般の隊員たちを絞り上げているように見えなくもない柱稽古の裏で、柱たちがそれぞれに覚醒するための道を探っている感じが伝わってくる。アニメの「柱稽古編」が単なるインターミッションにはならないのではと感じられるのは、それが理由だ。

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