九尾狐、転生、死神など韓国ドラマで定番のモチーフ “人ならざる者”が好まれる理由

韓国ドラマでファンタジーが定番な理由

キーポイントは韓国の死生観と普遍的なメッセージ

『九尾狐<クミホ>伝~不滅の愛~』(tvN公式サイトより)

 韓国では、今でこそキリスト教信者の人口も多いが、元々は儒教と仏教(李氏朝鮮王朝時代に抑圧されたものの)に対する信仰が根強い社会だ。九尾狐や死神といった人あらざる者、転生のように現世ではない世界を描くドラマや映画は、大衆文化に影響を与えた儒教や仏教における死生観に根ざしたストーリーになっている。

 仏教的な死生観とは、いわゆる輪廻転生と因果応報だ。死んだら来世に行き、生きている間の悪行は来世で必ず報いを受ける。そして、先祖の業は孫や子にまで続いていく。 一方、儒教的な死生観は、今生きている世界、死後の世界、そして来世は断絶されていない。たとえ亡くなり肉体を失っても、魂は現世にあり生きている人のそばにいつまでもいるという考え方だからだ。だからこそ、残された者は祭祀(チェサ、日本の法事のようなもの)を重んじるのである。

 今回取り上げたような韓国ドラマは、こうした儒教や仏教の死生観をハイブリッドに取り入れている。どの作品を見ていても分かるが、相手が九尾狐や転生した人間、トッケビのような死神という、にわかには信じがたい存在であるにもかかわらず、主人公たちの周りの人間は存外すんなりと受け入れることが多い。ストーリー運びの都合の良さだけではなく、おそらく人々の間に死後の世界は思ったよりも浸透しているのではないだろうか。

 とはいえ、ヒットする理由はそれだけではないだろう。「世界価値観調査」による2017年〜2022年の「死後の世界を信じるか」という調査によると(※)、韓国も日本も死後の世界を信じる人の割合は30%台と、さほど高いとは言えない。スピリチュアルな世界観ばかりが支持されているのではないようだ。

 今回取り上げた『九尾狐<クミホ>伝~不滅の愛~』『生まれ変わってもよろしく』『トッケビ~君がくれた愛しい日々~』は、ファンタジックな題材を選びながらも、人が生きることで日々生まれる普遍的な葛藤にも触れている。『九尾狐<クミホ>伝~不滅の愛~』のヨンは、自分自身が妖怪であることで人間の恋人アウムを失い、そして再びジアを危険に晒してしまう。ヨンが愛を貫こうとすれば、大切な人そのものを失ってしまうジレンマは、自分本位な愛か、それとも利他的な愛のどちらを選ぶべきかという問題に突き当たる。『生まれ変わってもよろしく』『トッケビ~君がくれた愛しい日々~』の主人公たちは不滅の生を得た。しかしそれは、俗世間で生きる私たちが羨ましがる“長生き”のように呑気なものではない。トッケビのシンにとっては、武将として戦いで多くの命を奪った罰であり、ジウムにとっては心の中の石だった。大切な人たちの死をなすすべなく見送り取り残される孤独は、死の苦痛に勝るとも劣らないのだ。

 韓国のファンタジードラマは、エンターテインメントとしての楽しみをくれるだけではない。現実を生きている我々が己の人生に立ち返らせるメッセージ性を含んでいるからこそ、心をつかむのではないだろうか。

参照

※ https://www.worldvaluessurvey.org/WVSOnline.jsp

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