『沈黙の艦隊』親しみやすい映画独自のアレンジ 一方であがる少なくない不満の正体

 かわぐちかいじによる同名漫画を映画化した『沈黙の艦隊』が現在公開中だ。まず、本作はひとつのエンターテインメント作品として間違いなく面白く、原作からのアレンジも的確だった。だが同時に決して少なくない不満の声があがる理由もまた頷ける内容でもあった。それぞれについて記していこう。

中村倫也の映画オリジナルキャラクターがもたらした効果

 まず、今回の映画で感心したのは、やや硬い印象もあった原作を親しみやすくする工夫の数々だった。中でも大きいのは、映画オリジナルキャラクターである中村倫也演じる海上自衛隊員の存在だろう。

 彼にまつわる「選択」は、実質的に2人いる主人公である海江田四郎(大沢たかお)と深町洋(玉木宏)の“わだかまり”を生む。「大きな目的のためであれば手段を選ばない」ような海江田の危うさと、その選択をした彼へ嫌悪感を募らせる深町の心情は、誰にでも理解しやすいだろう。

 原作でも映画でも、深町の「自身の潜水艦を放棄することを認めない」潜水艦乗りとしての矜持および、海江田への強い否定の言葉は共通している。さらに今回の映画では「人間として当たり前の葛藤」も付け加えたことで、より深町へ感情移入しやすくなっているのだ。

 中村倫也の出番そのものは少ないが、後にとある人物の視点で語られる回想を含めて“普通の人”に思えるからこそ、対立する2人の主人公と対照的に見えて、だからこそ強く印象に残る、映画全体に強く作用するほどの重要な役回りだった。

大沢たかおと玉木宏のイメージにマッチした2人の主人公

 もうひとつ、多くの人が称賛するのは、大沢たかおと玉木宏の熱演。両者とも原作からキャラクターの性質が変わっており、個人的にはそれも良いアレンジだと感じた。

 原作の海江田はキラキラした目をしていて、だからこその純粋さもまた狂気を感じさせるようなキャラクターであり、正直に言って大沢たかおのイメージとはかなり異なる。だが、穏やかな口調とポーカーフェイスで“底知れなさ”を感じさせる大沢たかおは、原作とは別ベクトルでのカリスマ性とサイコパスな印象を両立させる新たな海江田として、観客全員を納得させるほどのパワーがあった。

 原作の深町はやや皮肉っぽく粗野なところもあるキャラクターだったが、映画で玉木宏が演じるのは、かなり生真面目かつ神経質な人物に見える。だからこそ、前述したように潜水艦乗りだけでなく、人間としての当たり前の葛藤を抱えるように同調できるし、嫌悪感と正義感を同居させる玉木宏の演技が実にマッチしていた。

 この対立する2人の主人公に重点を置いた作劇も良い判断であったし、その“外”にも親しみやすくする工夫がいくつもある。たとえば、「潜水艦乗りが普段どのような生活をしているか」を語る場面があったり、クルーの食事を作る側の視点があったり、若者たちがベッドで“彼女”について話し合ったりするのだ。

 前述した中村倫也の役回りもそうだが、やはり極端なところがある2人の主人公とは別の価値観を持つ、“普通の人”の視点があることで、より多くの人に訴求しやすい内容になったと言える。

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