“ウェス・アンダーソン節”全開 中編作品『ヘンリー・シュガーのワンダフルな物語』を解説

『ヘンリー・シュガー』の内容を解説

 ベネディクト・カンバーバッチが演じているのは、大金持ちで全く働いたことがないという、ヘンリー・シュガーという人物。彼は、ひょんなきっかけから、長い修行を経て目を使わず物を見ることができるようになったエンターテイナー(ベン・キングズレー)の存在を知る。そして、自分も修行を重ねることによって透視術を身につけることで、カジノで勝利しようといった悪事を企てるのだった。そしてヘンリーは、ついに透視を実現させ、カジノに乗り込んでいく……。

 この物語で興味深いのは、長い時間をかけ修行を重ねて自分の望みを叶えたヘンリーが、あまり愉快そうではないというところだ。これはもともとカンバーバッチが気難しそうな顔をしていることとは関係がない。人並み以上に邪念に突き動かされていたはずのヘンリーは、逆に他人を喜ばせる方向に生きがいを見出し始めるのだ。

 これは、一つのものにひたすら集中し続けるといった、本作の透視術の修行が、インドのヨガなどにおける精神統一の方法に酷似していることが関係していると思われる。ヘンリーは自己愛からか自分自身に意識を集中させるという方法で透視術を体得するに至るが、それは自分と向き合うことで得られる自己変革の境地を指し示してもいる。つまりヘンリーは、邪(よこしま)な気持ちをきっかけに、一般的な人々を能力的に乗り越えることによって、精神的な高みへも登っていったということなのだろう。この、試練や苦行、瞑想などを経て精神的な安定へと進むといった内容は、過去作『ダージリン急行』(2007年)でも見られたものだ。

 これは西洋人による、東洋の思想や異国文化への一方的な憧れと見ることもできるが、こういった超越的な力が人格の形成へと繋がるという、ある種の願望は、東洋人の側からも見られるものだ。中国の『列子』を基に書いた、作家・中島敦の小説『名人伝』は、当代一の弓の名人になるべく、長年の激しい修行を続けた人物が最終的にたどり着いた境地が、弓を射ることすら忘れてしまうという状態だった。

 技術を向上させて道を極め、富や名声を築いていった先にあるものが、功名心や達成感から解き放たれた心の状態だというのは、一つのロマンである。確かに、どんなに力や名誉を手に入れたところで、死んでしまえば、その人の全ては情報としてしか後世に残ることはない。だが、真に他人のためになることをすれば、それは後世に何らかの影響を及ぼし、未来のかたちを変えていくことが可能になる。それが、瞑想や修行の先にある“悟り”の境地なのかもしれない。

 そして、その考え方は、さまざまな欲望によって左右されてしまう現在の世界にとって、じつは最も必要なものなのではないのか。そう思えば、本作の東洋文化への憧れは、ロマンを超えて東洋と西洋を結び、現実の世界でのより良い人生哲学にもなり得る。本作が到達するのは、そんな理想的な世界への淡い希望だと考えられるのだ。自分の心の悩みや傷、そして課題を乗り越え、新たな道へと進んでいく……その方法を追求することは、ウェス・アンダーソン監督がさまざまな作品や、劇中の趣向によって描いてきたテーマと一致するものでもある。

■配信情報
『ヘンリー・シュガーのワンダフルな物語』
Netflixにて独占配信中
監督・脚本:ウェス・アンダーソン
出演:ベネディクト・カンバーバッチ、レイフ・ファインズ、ベン・キングズレー、デヴ・パテル、リチャード・アイオアディ
プロデューサー:ウェス・アンダーソン、スティーヴン・レイルズ、ジェレミー・ドーソン

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