ウェス・アンダーソン監督自身が体現する“希望” 『犬ヶ島』は“新たな世界の見方”を伝える

『犬ヶ島』は“新たな世界の見方”を伝える

 シンメトリーな構図、シュールでユーモラスなセンス。くすんだ色調と愛らしい美術、こだわりの字体とレトロなファッション。これらの要素が何層にも装飾的に重ねられた箱庭的ヴィジュアルが、アメリカ映画界でとくに際立った個性を放つ、映画作家ウェス・アンダーソンの世界だ。娯楽映画の世界のみならず、ファッションやアートの分野でも注目を浴びている、その独特な作家性は、一部の観客の熱狂的な支持を受けている。

 本作『犬ヶ島』は、そんなウェス・アンダーソン監督が、犬と人間との結びつきをテーマに、日本文化への強い愛情を持って描いた、ストップモーション・アニメーション映画だ。ここでは、作品の内容や監督の作風を基に、本作が本質的に描いたものが何だったのかを考察していきたい。

 舞台となるのは近未来の日本、ウニ県メガ崎市の街と、その近海に存在する“犬ヶ島”だ。このユニーク過ぎる地名から分かる通り、ここで描かれているのは現実的な日本の姿ではない。ウェス・アンダーソンの美意識によって、相撲、浮世絵、太鼓パフォーマンスなど、海外に愛される日本文化の特殊性を極度に強調した、『ブレードランナー』や『AKIRA』の世界観をも想起させる、架空の都市、そして架空の島なのだ。

 そのメガ崎市で、犬が感染源とみられる“ドッグ病”が蔓延したことで、市長・小林は犬たちを、廃棄物だらけのゴミの島へ隔離することを決める。市長の養子である12歳の少年・小林アタリは、多くの犬とともに“島流し”となった愛犬スポッツを探すため、単身で飛行機を操縦し、病気の犬ばかりが住む“犬ヶ島”へと降り立つ。ドッグ病をおそれずに島まで犬を探しに来た飼い主は、彼一人だけである。だがそんなアタリ少年に、市長の追手が迫る。

 『ファンタスティック Mr.FOX』でも緻密な世界を作り上げていたウェス・アンダーソン監督は、本作ではさらに、看板や酒瓶のラベル、人間や犬の体毛、ゴミが散乱した大地など、スケールの小さいところから大きいところに至るまで、世界を構成するあらゆるものを精緻に、偏執的に、そして子どもが積み木を組み立てていくような楽しさで並べてゆく。しかもそれらの多くに、ハンドメイドのあたたかみがあり、極端なカリカチュアライズ(風刺的誇張)が施されているのだ。その作品世界には、アメリカで主流の3DCGアニメーションとは全く異なるテイストがある。本作はその意味で、アメリカの商業映画に表現の幅を与え、世界のアートアニメーションに大きな可能性を提示しているといえるだろう。

 愛犬スポッツを捜索する少年の旅を助けるのは、チーフ、レックス、キング、ボス、デュークという、全てリーダーとしての名前がつけられた5匹の犬たちだ。彼らが仲間同士でかわす言葉は、観客のために人間の言語に変換されている。犬たちが犬ヶ島の荒れ果てた土地でかっこよく佇む、ダンディズムを感じるシーンでは、黒澤明監督の世界的名作『七人の侍』の劇中曲が流れる。そう、彼ら犬たちは、野武士の略奪に遭う農民たちに力を貸した七人の侍のように、義によって正しい者を助ける、“ヒーロー”としての“侍”なのだ。

 ウェス・アンダーソン監督本人が「黒澤明監督だったらどう撮るかと考えた」と、影響を明言しているように、本作は黒澤映画を想起させるシーンの数々が印象的である。『七人の侍』をはじめ、『用心棒』を想起させる横並びの構図や、『天国と地獄』で三船敏郎が演じていた資産家と、本作の小林市長との類似。またゴミが散乱する犬ヶ島の荒野は、『どですかでん』の工場跡地を利用したオープンセットを思い起こさせる。黒澤監督の『どですかでん』のカラフルな色の地面は心に残る風景だが、後にそれは六価クロムに汚染された土地だったことが分かり、騒動になったという。そんな嘘のような事実も、『犬ヶ島』の世界観に近いように感じる。

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