『アリスとテレスのまぼろし工場』の内容を徹底考察 “人間を描く”という岡田麿里の意識
それでは、製鉄所に閉じ込められた少女というのは、何を意味しているのか。本作の作品世界が描く虚構の世界が、アニメ作品の批評的再現だとするならば、そこに貢献する“生身の存在”といえば、声優に当たるのではないか。アニメの登場人物たちが変わらず同じ日々を生き続けるのに対し、それを生身で演じる者たちは、リアルに年をとっていく。しかし、この生身の存在がいることで、作品世界は実際の人間による生気が与えられるのである。故に彼女は、ある種の“依代(よりしろ)”として扱われていると考えられる。
ここで岡田麿里監督が表現しているものが、典型的な日本のアニメ世界の批評的な表象なのだとすれば、本作の内容は、痛烈な皮肉を含んだものとなってくる。なぜならば本作の登場人物たちは、ほとんど匂いもしない、儚い非人間的なものとして生きていかねばならないように縛られた状態で描かれているからだ。つまりキャラクターたちは、おそらくは“神”の求めるように、都合よく役割を果たすだけの“都合の良い”存在でしかない。近代文学のように現実の人間を描こうとするのではなく、あくまで商業的に要請されたものを提供するためのシステムなのである。推測するに、これは小説を書くことにも挑戦していたという、岡田麿里監督が、典型的なアニメの作品構造に対して抱いていた、問題意識の表れなのかもしれない。
だが本作の登場人部たちは、やがて与えられていた自分たちの役割を放棄し、自分の生き方を模索しようと動き出す。それは結局、自分たち自身の存在を否定することに繋がり、消えてしまう運命へと進むことになってしまうのだが、束の間でも自分自身の意志を貫き通すことができるならばと、自殺にも似た自由への逃走をはかるのである。つまり、作品の登場人物たちが起こす、作品への反乱である。熱い、パンクな展開だ。
同時に、ある登場人物たちが、自分たちが生きていることを確認するかのように激しいキスを交わすシーンは、異様なほど印象的だ。ここまで生々しいキスシーンというのは、アニメーション作品ではごくごく稀なのではないかというくらい、ねっとりと詳細に描かれている。岡田監督は、この象徴的な場面により、非人間性を求められる世界において、生の人間であろうとする人々の、能動的な姿勢を表現しようとする。つまりは、非人間的な設定を土台にすることで、逆説的に“人間を描く”ということを目的にしているのだと考えられる。
その描き方としての演出も、本作は特徴的だ。廃墟や無人の場所での登場人物たちの個人的なやりとりや、家庭や学校での息苦しさ、学生の鬱屈した感情のぶつかりを映し出す姿勢からは、90年代より前の日本映画の手触りを感じるところがある。実際、岡田監督は、「今回はATG(日本アート・シアター・ギルド)作品や、フランスのヌーヴェルヴァーグ、80年代の角川映画などを参考にしています」と発言している。(※)
とくに、『祭りの準備』(1975年)や『青春の殺人者』(1976年)、『遠雷』(1982年)などの、いかにもATG作品らしい映画を観てもらえば、このニュアンスは理解できるだろう。このような映画では、いまでは泥臭いと感じるほどに、“人間を描く”という意識を強く持って、ありったけのパッションを観客の眼前に叩きつける。また、このような表現には、現在では時代遅れといえるような社会観や女性観が散見されることが少なくないのも確かなことだ。今回の岡田監督の試みが、そういった古い感覚にとらわれてしまっているところがあると判断するか、一種の“ルネサンス(文化の再生)”と見るかは、観客によって意見が異なるかもしれない。
だがいずれにせよ、登場人物が都合よく消費されがちなアニメーション作品が少なくないなかで、“人間を描く”という意識を持ち、“生”への衝動を高い熱量で表現しようという姿勢は貴重なものだということは間違いないのではないか。そして、その挑戦をアニメーションの現場からおこなおうという試みそのものは、評価せずにはおれない。
ちなみに、本作のタイトルのなかの「アリスとテレス」というのは、岡田監督が小学生の時代、授業で扱われたという哲学者“アリストテレス”を、クラスのみんなが「アリスとテレス」という二人組のようにふざけて言っていたのを流用したということだ。なので、アリスもテレスも、本作には登場することはない。これ自体には重要な意味はないのかもしれないが、本作が人間の実存を求める二人の登場人物を中心とした物語であるということを考えれば、哲学者の名前が引用されるというのは、象徴的なことなのかもしれない。
参照
※『アリスとテレスのまぼろし工場』プレス資料より
■公開情報
『アリスとテレスのまぼろし工場』
全国公開中
出演:榎木淳弥、上田麗奈、久野美咲、八代拓、畠中祐、小林大紀、齋藤彩夏、河瀨茉希、藤井ゆきよ、佐藤せつじ、林遣都、瀬戸康史
原作・脚本・監督:岡田麿里
副監督:平松禎史
キャラクターデザイン:石井百合子
美術監督:東地和生
音楽:横山克
主題歌:中島みゆき「心音(しんおん)」
制作:MAPPA
配給:ワーナー・ブラザース映画、MAPPA
©新見伏製鐵保存会
公式サイト:https://maboroshi.movie︎