宮﨑駿の映画は何を伝えようとしてきたのか? 第4回『風立ちぬ』
戦争と災害の時代をどう生きるか
2006年に、宮﨑は吉野源三郎『君たちはどう生きるか』についての文章を書いている。ここで映画化したいと語っている構想の一部は、『風立ちぬ』で実現していると考えられる。
「この本が書かれた時代に著者が目にしていた風景のほうに、僕は興味があります」「その本を著した人が見ていた、その時代の中で失われた風景のことを考えてしまうんですね」(『折り返し点』p459)
「この本が書かれるまでの昭和十二年間という近代史を見ると、思想的な弾圧や学問上の弾圧があって、とにかく民族主義を煽り立てて、国のために死のうという少年達を作り上げていく過程が、あまりに僅かな期間にやられていることがわかる。本当に異常なまでの速さで昭和の軍閥政治は、破局に向かって突き進んでいく。今も世界はそんなふうにたちまちのうちに変わっていく可能性があるんだということです」(『折り返し点』p460)
「灰色の時代を現実に生きていた自分の親父やおふくろの姿が、どうにもうまく想像できなかったということがあると思います」(『折り返し点』p463)
両親の生きた時代を再現することを通じて、そのような状況の中で「どう生きたか」を探り、「どう生きるべきか」を提示することを、宮﨑は構想していたようなのだ。『風立ちぬ』『君たちはどう生きるか』は、そのような作品なのだろう。『千と千尋の神隠し』以降が、子供向けファンタジーと老人向けファンタジーが両立していたことの延長線上で、これから起こる事態を「どう生きるか」を教えることと、既にこの世から去った肉親や死者や時代とを蘇らせる私的なファンタジーとが、両立しているのである。
戦争と災害と破局の時代への予感を示す発言は数多くある。たとえば、『本へのとびら』という新書の中で、2011年の東日本大震災の直後に書かれた文章がある。
「僕らの国はつくる以上のものを消費することをやめるしかありません。貧乏にもなるでしょう。戦争すら始まりかねません。世界中がはじけそうにふくらんでいます。こんな時期に大丈夫ですなんて言えません」(『本へのとびら』p161)
「『風が吹き始めた時代』の風とはさわやかな風ではありません。おそろしく轟々と吹きぬける風です。死をはらみ、毒を含む風邪です。人生を根こそぎにしようという風です」(『本へのとびら』p151)
あるいは、このようなインタビューでの発言もある。
「原発が爆発したあと、轟々と風が吹いた時に、僕は2階で寝転がってて、木がうわーって揺れてるのを見て思ったんだけど、『風立ちぬ』っていうのはこういう風なんだ」「轟々と吹くんです、恐ろしい風が。だから生きようとしなければならないんだっていうことなんだなあ、と、現実に思い知らされたんですけどね」(『続・風の帰る場所』p217)
東日本大震災が起こったのは、本作の絵コンテで関東大震災の場面を描き終えた最中であった。だから、東日本大震災だけが、この内容を描く動機ではないし、企画や脚本が全的に影響下で生まれたわけではない。しかし、『紅の豚』と同じように、作りながら影響を受け、内容を変化させていった過程はあるようだ。
「今回の作品を準備している最中に3・11が起きました。関東大震災の絵コンテを描き終えた時にちょうど東北の震災が起きまして、ほんとうにどうしようかと思いました」(『腰ぬけ愛国談義』p129)
東日本大震災を経験し、宮﨑はどのような使命感を抱いたのか。
「自分たちがこれからやることが震災後の日本とか原発事故が起こった日本に応えることになるかどうか、全然わからない。でも、まあ……とにかく『今までのやり方を踏襲しました』では済まないだろうっていうことだけは感じます」(『続・風の帰る場所』p180)
「大きな事件だけど、中身はね、日本の軍閥時代の末期のあの愚かしさと、今回の原発利益集団の愚かさがそっくりなんですよ。それに一番うんざりします。『なんだ、旧軍の愚かさをもう一回原発村がやってるんだ』っていうね。ほんとに、こういう愚かさの歴史を何回繰り返せばいいんだろうと」(『続・風の帰る場所』p142)
「ぼくも福島第一原発の事故のときは、あれを支えていた体制が『旧軍』とちっとも変わっていなかったことに気づいて、もう、吐き気がしました」(『腰ぬけ愛国談義』p235)
「(庵野秀明と、震災の一か月後に被災地に行ったとき)その時は水が澄んでましたからね。そして海の中を覗くと魚が泳いでるし、鳥はお腹いっぱいそうに飛んでるという。そういう風景でした。平和そのものでしたね」「天災で、どんなに悲痛な思いをしても、この国の人々はそれを受け容れて、それでも生き続けようとする力をやっぱり持ってるんだと思いますよ。パニックになったとしても、なんとかしていく、そういうのを感じました」「そして同じことが東京で起きたらどうなるかって考えます……。必ず起きますよ」(『続・風の帰る場所』p143-144)
「たくさんの悲劇がありましたが、震災を受けた人たちは、乗り越えていけると思います。ですが原発の問題はね、これはエネルギーを過剰消費していく文明のありように、はっきり警告が発せられたんだと思うんです。(…)これは今の人が歴史的感覚を失っても、歴史の中にみんないるんだっていうふうに時代の中へ放り込まれた事件だと思うんですよ」(『続・風の帰る場所』p139)
東日本大震災と原発事故によって、突然我々は「時代」の中に巻き込まれて生きているということに覚醒せざるを得なくなったという認識が語られる。これらが、『風立ちぬ』『君たちはどう生きるか』の「歴史」を描こうとする内容にダイレクトに反映されていることは言うまでもないだろう。
戦争や災害が、「起こる」という確信のもとに、「どう生きるか」を教えようとして、『風立ちぬ』『君たちはどう生きるか』を構想しているだろうことがはっきり分かる。その認識に大きく影響しているのが、東日本大震災と福島第一原発の事故であることもよく分かるだろう。
教えようとしている「歴史」「時代」とはどのようなものか。それは、破局に向かっていく軍国主義の時代や、火の海になった戦時中、そして焼け跡になった戦後である。『本へのとびら』の中でも、第二次世界大戦後の困難な状況を乗り越えようとして、児童文学を立ち上げた石井桃子、岩波少年文庫に触れてこう言う。
「今はまだ、そこまでいっていない。衰えたとはいっても、印刷物もあふれているし、押しつけがましいテレビやゲーム、漫画も、子どものなかを埋めつくしています。悲鳴のような音楽もあふれている。まだ以前の生活を、いつまで続けられるかって必死でやっている最中でしょう。/それをどんなにやっても駄目な時がくるんです。だと思います、僕は。/始まってしまったんです。これから惨憺たることが続々と起こって、どうしていいか分からない。まだ何も済まない。地震も済んでない。『もんじゅ』も片付いてない。原発を再稼働させようとして躍起になっている。そういう国ですからね。まだ現実を見ようとしていない。それが現実だと思います」(『本へのとびら』p165-166)
そして、「次の世代へ」という小見出しで、以下の本を紹介する。
「少年文庫にナチス侵攻前後のオランダを描いた『あらしの前』と『あらしのあと』という連作があります。『あらしのあと』の「正常に戻るんだ」「もとにもどるんだ」っていうあの文言が本当に意味を持つのは、まだまだこれからなんですよ」(『本へのとびら』p166)
「彼らが生き延びたら、彼らの世代が次のものをつくるんです」(『本へのとびら』p167)
戦争という破局に向けてファシズムが展開する、その前後を描いた児童文学を参照しているのだ。『風立ちぬ』と『君たちはどう生きるか』を、そのような機能を持つ、「次の戦争と災害」に向けた「児童文学」的な映画だと理解する根拠は、この辺りにある。
「どう生きるか」を探る際に参照されたのは、両親だけではない。関東大震災のときの、利根川の船頭の聞き書き(渡辺貢二『利根川高瀬船』)について、宮﨑は語っている。隅田川で、80人が載っている船で二日間水上で生き延びたのだ。
「このとき一人の若い船頭によって八十人もの命が助かった。すごいものですよね、人間って。それをアニメーションにできないかなと」(『腰ぬけ愛国談義』p111)
そして、巨大な災害を生き延びた者のイメージの中には、祖父もいる。
「祖父さんが賢い人で、地震のあとあちこちから火の手が上がるのを見て、『これはだめだッ。すぐ飯を炊けッ」と言ったそうです」「工員さんは全部で二十五人ぐらいいたらしいですけど、家族をふくめてだれ一人死なずに済みました」(『腰ぬけ愛国談義』p113)
『風立ちぬ』は、を混ぜた謎の作風である。本作の主人公二郎は実在した零戦の設計者である堀越二郎と、堀辰雄の小説「風立ちぬ」「奈緒子」の登場人物を組み合わせて作られている。それのみならず、飛行機の設計家=芸術家であり、『紅の豚』と同じように、絵描き、アニメーションづくりの寓話であり、自己も投影されているだろう。漫画版の本作が、『紅の豚』と同じように、宮﨑の自画像である豚として主人公が描かれていることを根拠に、その解釈は多く流通している。さらに、父親や祖父、それから危機と破局の時代を生き延びた多くの者たちのイメージが重ねられているのだ。