『ジェーンとシャルロット』は“母”という存在を問いかける 映し出される母娘の複雑な感情
シャルロットは撮影をしながら、ジェーンに次々と質問をしていく。ジェーンが愛したパートナーたちのこと。ジェーンと両親との関係。子供の頃から手放せない睡眠薬。年老いていくこと、病気で倒れたこと。ライターが興味本位で取材するのとは違って、そこには「母のことをもっと知りたい」というシャルロットの切実な思いが伝わってくる。そして、そんな娘の気持ちに応えて、ジェーンは自分の女性としてのエゴや弱さも隠さずに答えていく。そこに「自由奔放に生きたフレンチ・アイコン」という華やかなパブリックイメージとは違った、ジェーンの生身の姿が浮かび上がる。ケイトの死について語る時、ジェーンは彼女の背景に映し出されているケイトの子供の頃の映像を止めてほしい、とシャルロットに頼むが、そこには娘を失った悲しみから逃れられない一人の母親の姿があった。
一方、シャルロットは自分が「二番目の子供」だということにこだわる。母親にとって手がかかるだけに構いがちな最初の子供。最年少で可愛がられる三番目の子供に比べて、二番目の子供は放っておかれがち。シャルロットは姉や妹に嫉妬していたという。そんな彼女にとって、この映画は母親とじっくり向き合い、長年抱いていた思いを直接告げる最後の機会だった。この時期、ジェーンは闘病中で、いつどうなるのかわからない状況だったのだ。だからこそ、シャルロットは自分にしかできないやり方、映画の撮影という形で母を独占したかったのかもしれない。映画の終盤、打ち解けた2人が真っ白なベッドに一緒に横たわって話をするシーンは、シャルロットが子供に帰ってママに甘えているようにも見えた。
ジェーンとシャルロットに限らず、親子は相手のことを知っているようで知らない。母親に話を聞くことも、子供に正直に答えるのも勇気がいることで愛情なしにはできない。そんな親密なやりとりを作品として残すということに、映画の世界を生きていた母娘の創作に対する情熱(あるいは、宿命)を感じさせた。そして、そんな2人の間で無邪気に飛び回っているのが、シャルロットの小さな末娘、ジョーだ。シェルロットはジョーを撮影に同行させ、ジョーを撮る時には母親の眼差しを見せる。いつか自分もジョーから難しい質問をされるかもしれない、とシャルロットは思っていたのだろうか。
本作は一人の女性であり、かつては一人の娘でもあった〈母〉という存在を問いかけるドキュメンタリーでもある。シャルロットはジェーンの葬儀で「私の母であり、私たちの母」とコメントしたが、この映画を撮り終えたことで、家族や大勢の人々とジェーンの思い出を共有しても気持ちが揺るがないほど、ジェーンを自分の一部にできたのかもしれない。
■公開情報
『ジェーンとシャルロット』
8月4日(金)より、ヒューマントラストシネマ有楽町、渋谷シネクイントほかにて全国公開
出演:ジェーン・バーキン、シャルロット・ゲンズブール、ジョー・アタル
監督・脚本:シャルロット・ゲンズブール
撮影:アドリアン・ベルトール
編集:ティアネス・モンタッシー、アンヌ・ベルソン
美術:ナタリー・カンギレム
エンディングロール曲:「私はあなたのために完璧でありたかった!Je voulais être une telle perfection pour toi!」
配給:リアリーライクフィルムズ
2021年/フランス/92分
©2021 NOLITA CINEMA – DEADLY VALENTINE PUBLISHING / ReallyLikeFilms
公式サイト:https://www.reallylikefilms.com/janeandcharlotte