『ジェーンとシャルロット』は“母”という存在を問いかける 映し出される母娘の複雑な感情
7月16日に惜しまれながらこの世を去ったフランスを代表する女優/シンガーのジェーン・バーキン。葬儀の挨拶で娘のシャルロット・ゲンズブールは「母を愛してくれた父、そして、父を愛してくれた母に感謝します」とコメントした。異端のシャンソン歌手、セルジュ・ゲンズブールはジェーンのために数多くの曲を書き、2人の愛が破局を迎えても、作曲家とシンガーの関係は続いた。そして今、シャルロットはジェーンと同じように女優/シンガーとして活躍している。ジェーンとシャルロットはフランスでいちばん有名な母娘だが、2人の間には複雑な感情が横たわっていた。その理由を探ろうとしたドキュメンタリーが、シャルロットが初めて監督に挑戦した『ジェーンとシャルロット』だ。
ジェーンは最初に結婚した作曲家のジョン・バリーの間にケイト・バリーを産み、ゲンズブールと別れた後、映画監督のジャック・ドワイヨンとの間にルー・ドワイヨンを産んだ。シャルロットはジェーンにとって2番目の子供。長年シャルロットは、ジェーンの自分に対する接し方が姉や妹と違うと感じていた。そんななか、2013年にケイトが事故で亡くなったこと(自殺とも言われている)が母娘の関係に重くのしかかるようになる。シャルロットはジェーンのドキュメンタリー映画を製作することで、母親と正面から向かい合おうと決意。ジェーンの東京公演に同行して最初のインタビューを試みる。場所は鎌倉の茅ヶ崎館。映画監督の小津安二郎が脚本を執筆する時に定宿にしていた老舗旅館だ。日本の家族を題材に映画を撮り続けた小津とゆかりがある場所で、母娘の物語が始まるというのも興味深い。
窓から松林が見える部屋で向かい合った母と娘。「2人の間にはいつも恥じらいみたいなものがある。どうしてそうなのか知りたい」というシャルロットの問いに、ジェーンは「あなたは私にとってミステリアスな子で近づくすべを知らなかった」と答える。13歳で女優デビューしたシャルロットは子供の頃から自分の世界を持っていて、友達や恋人の話をジェーンに一切しなかった。その頃、ジェーンは嫌われることを覚悟でシャルロットの胸を触りたいと申し出たそうだが、肉体を通じて娘の成長を感じたい、という母の想いがあったのかもしれない。取材中、ジェーンは「これから先の撮影が思いやられるわ」と思わずため息を漏らすが、2人の間に微妙な緊張感が漂っているのが感じられる。
映画の次のシークエンスでは、現在シャルロットが暮らしているニューヨークに舞台が移る。ニューヨーク公演を直前に控えてリハーサルをするジェーン。人前で歌うことにひどく緊張するとジェーンは告白。ゲストで参加するシャルロットも同じようにステージ恐怖症で、2人が寄り添うようにリハーサルをするシーンが微笑ましい。映画では語られないが、鎌倉のインタビューから2年の月日が流れている。鎌倉でシャルロットに責められているように感じたジェーンが撮影の中止を申し出たからだ。結局、撮影した映像を見てジェーンが納得したことで映画は続行されたが、それくらいジェーンがシャルロットに対してナーバスな感情を持っていたと思うと痛々しい。もちろん、それはシャルロットも同じに違いない。ニューヨーク以降、2人の距離は少しずつ近づいていくように見えるが、2人が抱えるわだかまりが何なのか、映画を通じて垣間見えてくる。
2人を繋ぐ結び目であり、わだかまりのひとつがゲンズブールの存在だった。映画の中で、ゲンズブールが生前住んでいた家を2人で訪れるシークエンスは印象的だ。ゲンズブールの家の所有権はシャルロットが持っていて、ジェーンがそこを訪ねるのは実に30年ぶりのこと。隅々までゲンズブールの美意識に貫かれた家は、まだ主人がどこかでタバコをふかしているようだ。ゲンズブールが生きていた時の状態が(冷蔵庫の中まで!)そのままになっていて、父を失いたくない、というシャルロットの強い愛が伝わってくる。一方、ジェーンにとっては幸せな記憶がありつつも、アルコールに溺れるようになったゲンズブールから「逃げ出したい」と思い続けた辛い場所でもあった。ゲンズブールを巡って2人の間に感情が揺れ動く。そんななかで、思いついたように「ここを美術館として開放してもいいかもしれない」とシャルロットはジェーンに語るが、母と訪れたことで何か解き放たれるものがあったのだろう。