『ミツバチのささやき』日本で人気の背景とは 宇野維正×森直人がビクトル・エリセを語る

最新作『Close Your Eyes(英題)』への期待

『エル・スール』©2005 Video Mercury Films S.A.

ーーまさに、形を変えながら継承されていく「カルチャー」というか。それも含めて、エリセの影響は、いまだに大きいってことですよね。

森:そうですね。だから、その最初の2つというか『ミツバチのささやき』と『エル・スール』は、ホントに今も人気がある。とりわけ日本では、依然として人気の作品だと思うんですけど、それに比べると、そのあとに撮った『マルメロの陽光』は全然語られなくなったのが残念だな。

ーーまあ、ドキュメンタリー映画だったというのもあるのかもしれないですけど。あと、少女が出てこない(笑)。

森:あの映画は、高畑&宮﨑コンビの『アルプスの少女ハイジ』(1974年)的に言うと「おんじ」しか出てこないですから(笑)。でも僕は、『マルメロの陽光』っていうのは、エリセの自画像的な投影が濃いものとして、かなり重要な作品だっていう気がしていて。あの映画って、アントニオ・ロペス・ガルシアっていう、スペイン・リアリズム絵画の巨匠のドキュメンタリー映画っていう体の作品だけど、彼は1936年生まれだから、世代的にはエリセと近いというか、まあ同世代人ですよね。彼もすごく寡作な画家なんでしょ。ずっと庭にあるマルメロの樹を描き続けていて、20年かけてもいまだに描けない、みたいなドキュメンタリーなので(笑)。だから、もうこれは完全に、自分もそういう映画の作り方をしているっていう、エリセの自己言及に近い映画だったような気がするんですよね。本当に無添加の、オーガニックなスローシネマを、とんでもないスローペースで作り続けているわけで。この『マルメロの陽光』までの長編3作は約10年に1本だったけど、今回の新作『Close Your Eyes』が31年ぶりってのには、さすがに驚きましたが(笑)。

宇野:いくらなんても寡作すぎる(笑)。

森:これだけ寡作だと、世間の評価ってどこか後追い気味になっちゃいますよね。実は最初の2作品って、映画祭の受賞関係の成果ってやたら地味なんですよ。ようやく『マルメロの陽光』になって、カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞しましたけど、当時のカンヌとしては、すでにちょっとした功労賞の感覚があったのかもしれない(笑)。

宇野:それはあるだろうね。それこそ、カンヌと言えば、エリセが久しぶりの新作を撮って、今年のカンヌに出品していて、なんか揉めてたじゃない?

森:憤りのニュースが出てましたよね。せっかく新作を撮ってカンヌに出品したのに、コンペティション部門ではなく、プルミエール部門にエントリーされて。コンペじゃなかったら、他の国際映画祭に出したのにってエリセが怒ったっていう。

宇野:そうそう(笑)。

森:しかも、僕が読んだ記事によると、協会側が変なウソをついちゃったとか。期限に間に合わなかったから落としたんだ、みたいな。でも、実はちゃんと届いていたっていう。

宇野:まあ、実際のところ、どっちが悪いのかよくわからないところがあるけど、うがった見方をすると、「伝説の作家」扱いされていないことに怒っているビクトル・エリセっていう言い方もできるわけじゃないですか。

森:まあ、特に今年のカンヌのコンペ部門は、『怪物』(2023年)の是枝裕和監督をはじめ、かなりのビッグネームが集まっていて……その「次点」みたいなところに置かれたことに、エリセが機嫌を損ねたっていうのはあるかもしれない。結局、作品は出したけど、監督は怒って映画祭には参加しなかったんですよね。

宇野:エリセのことをよく知ってる人は、「こんな失礼な扱いして!」って言うんだけど、すごく引きで見ると、さすがに31年もインターバルがあったら仕方ないよねっていう。かつて『ツリー・オブ・ライフ』でパルム・ドールを獲ったテレンス・マリックだって、一番長いインターバルが20年だったから。

森:31年ぶりの新作だと「権威」にも置いてかれちゃうってことなのかな。いずれにせよ、国際映画祭ってものが、なかなかに政治的な場所であるってことが、この件で世間一般に露呈されちゃった感じはあるなあって。

宇野:まあね。ただ、その『Close Your Eyes(英題)』っていう新作のあらすじを見ると、結構面白そうなんだよね。「90年代、映画の撮影中に失踪した役者を30年後にテレビ番組が特集して、その役者の親友である映画監督と共に、彼が失踪した真相を明らかにしていく……」みたいな。

森:ミステリーかな? これまでのエリセからすると、なんだか意外なお話ですよね。

『ミツバチのささやき』©2005 Video Mercury Films S.A.

ーーしかも、アナ・トレントも出演しているんですね。

宇野:そうなんだ! っていうか、この新作、169分もあるんだね。これまででいちばん長いじゃん。カンヌのコンペを落とされたのは、それもあるのかもよ。カンヌのスケジュールってキツキツだから。だったら、他の部門に回せみたいな(笑)。というか、プルミエール部門って何?

ーー2021年に新設された「これまでの作品が高く評価されている監督たちの注目すべき新作を集めた部門」ってことみたいです。ちなみに、細田守監督の『竜とそばかすの姫』(2021年)は、この部門に選出されたとか。

宇野:なるほどね。そりゃ、そんな枠に入れられたら怒っても仕方がないよ。実際、カンヌで観た評論家たちの評価は、決して悪くないみたいだし。

森:ですよね。早く観たいな。

宇野:ちゃんと日本で公開されるといいね。そのためにも、エリセがどれだけすごい作家だったかってことはこうして語り継いでいかなきゃいけない。

森:もしここに来て、83歳のエリセの新しい顔が見られるのなら、それは凄いことですよね。もちろん、「やっぱりエリセはエリセだった」ってことでも嬉しいですし(笑)。新作、興味津々ですね。

■配信情報
『ミツバチのささやき【HDリマスター】』
『エル・スール【HDリマスター】』
ザ・シネマメンバーズにて配信中
ザ・シネマメンバーズ公式サイト:https://members.thecinema.jp/

■放送情報
『ミツバチのささやき【HDリマスター】』
ザ・シネマにて、7月12日(水)6:00ほか放送
『エル・スール【HDリマスター】』
ザ・シネマにて、7月13日(木)6:00ほか放送
ザ・シネマ公式サイト:https://www.thecinema.jp/

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