『aftersun/アフターサン』はなぜ多くの人の心に刺さるのか 森直人×奥浜レイラが語り合う

『aftersun』はなぜ心に刺さるのか

 映画『aftersun/アフターサン』の大ヒット記念トークイベントが6月15日にヒューマントラストシネマ渋谷で行われ、映画評論家の森直人と映画・音楽パーソナリティの奥浜レイラが登壇した。

 11歳のソフィが父親とふたりきりで過ごした夏休みを、その20年後、父親と同じ年齢になった彼女の視点で綴った本作。5月26日に封切られて以降、上映劇場では大ヒットを記録し、SNSを中心に絶賛の声が寄せられている。

 公開から3週間が経とうしている中、深夜にもかかわらず、多くの観客を集めた今回のトークイベント。3月に試写で初めて本作を観たときからずっと印象が強かったという森は、『aftersun/アフターサン』の好成績について、「皆さんにこれだけ刺さっていること自体が非常に嬉しいです」と喜びながら、「いまは“オートフィクション”と言われる自伝的創作、監督の実体験をもとにしたフィクションが多い。その中でも『aftersun/アフターサン』はもっともパーソナルな感触を与える。語り方の素晴らしさや独自性は、いま流行りのオートフィクションの中でも群を抜いていると思う」と、スティーヴン・スピルバーグ監督の『フェイブルマンズ』などと並べて解説。

 続けて、「ソフィにはシャーロット・ウェルズ監督の心情が託されていて、ほぼ自己投影に近いと思う。そう考えたときに、『aftersun/アフターサン』はシンガーソングライター的な映画じゃないかと思う。シャーロット・ウェルズ監督にインタビューもさせてもらったんですけど、影響を受けた作家の中にシャンタル・アケルマンがいるんです」と森が話すと、奥浜も「監督は本当に言葉が少ない方なんですけど、シャンタル・アケルマンの話になるとすごく饒舌になる。やっぱりそこからインスピレーションを得ていて、音楽の使い方とか空間の使い方はとても影響を受けているというふうに言っていました」と、監督本人がシャンタル・アケルマンの影響を公言していることを明かした。

(左から)奥浜レイラ、森直人

 そんなアケルマンと“シンガーソングライター的”というポイントについて森は、「70年代のシンガーソングライターがピアノやギターを弾きながら“私(わたくし)”を歌うスタイルだとしたら、いまのシンガーソングライターは自宅でいろんな機材を使いながらベッドルームで“私(わたくし)”の思いを消化するような感じ。『aftersun/アフターサン』もハンディカムのビデオ映像やフィルムなど、多様な映像環境、映像素材を組み合わせて、“私(わたくし)”の心情をフィクションで高めようとしている感じがある。感情と映像を繊細に結びつける有機的な作業の中で、新しい映画言語が立ち上がってきていると思う。それは、音の感触と感情を結びつける作業とすごく似ていると思った」と、音楽との類似性を指摘。奥浜もその意見に同意しながら、「冒頭からビデオを再生する音で『なるほど、これは音の映画だな』と。ポール・メスカルが演じているカラムのベッドでの呼吸音が印象的に出てきたりしますが、シャーロット・ウェルズ監督はその呼吸音も音楽の一部と捉えていて、そこもシャンタル・アケルマンからのインスピレーションだという話をされていました」と監督の言葉を紹介した。

 そんな『aftersun/アフターサン』は、なぜ多くの人の心に刺さるのか。森は「共通体験がなくても刺さる。それって、音楽とか歌が持つ波及力に近いようなところがあると思う」と分析。「音楽って、シンガーソングライターの方はその方自身の主題で“私(わたくし)”を歌うんだけど、聴く側の“私(わたくし)”になるところがある。だから『aftersun/アフターサン』も自分の物語になってしまうんです。そのインタラクティブな交換ができる映画だと思う」と、この父娘の夏休みがいつしか自身の体験に結びつくことが、多くの観客に刺さっている理由だと語った。

 奥浜から「どういう部分で自身と結びついたのか」と聞かれた森。「この映画が面白いのは、ホームビデオに映っていた事実が映像で出される“記録”と、大人になったソフィの主観が映像として可視化されていく“記憶”。その主観=記憶から想像に接続されていくわけです。その“記憶”から“想像”への飛び方にグッとくる。たとえば、自分が子供の頃に、父親とか母親のよくわからない姿を見たとして、そのときはなぜそういう顔をしていたのかわからなかったけど、いまだったらなんかわかるというあの感じ。それが映像になったと思って、そこで涙腺がやられます」。

 奥浜もその感想に同意し、「自分の親がはじめから親だったはずはない。人間として生まれて、ある程度未熟な中で親になるけれど、その未熟さというのが当時の自分にはあまり理解できなかった。親は立派なものだと思って育ってきたんですが、10代のときに親の未熟さを感じる出来事が私自身にもあって。親という生き物の未熟さを目の当たりにしたときの昔の自分を、どうしても思い出してしまう」と、自分の体験と繋がるエピソードを披露した。

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