『だが、情熱はある』髙橋海人と森本慎太郎が体現する宿命 “たりないふたり”誕生の瞬間が
『だが、情熱はある』(日本テレビ系)を観ていると、春日(戸塚純貴)のように生きたい……と思わされる。毎日を楽しんでいて、小さいことは気にしない。たとえ、相方が別の芸人を褒め称えても、「いやぁ、山里さんに春日はできませんからねぇ」と受け流す。強い、強すぎる。私だったら、ちょっと(いや、だいぶ)心がチクッとしてしまったと思う。
2012年、渡辺和子氏によるエッセイ『置かれた場所で咲きなさい』(幻冬舎文庫)が大ヒットを記録してから、“置かれる場所で咲く”という言葉がちまたで語られるようになった。私はこの言葉を、“まずは置かれた場所に感謝しなさい”と深読みしている。
第10話を通して、春日やしずちゃん(富田望生)は、まさに置かれた場所で咲ける人なんだろうなと思った。「私から、(コンビを)解散って言うことはないです。私は、山ちゃんが拾ってくれたから、今ここにいるのは分かってるし」と言ったしずちゃん。当時、山ちゃんからたくさんの嫌がらせを受けていたのに、置かれた場所に感謝することができるって、どれだけ心が広いのだろう。
そして、しずちゃんは幸せをキャッチする能力も高い。嫌なことをしてくる“今”の山ちゃんに目を向けるのではなく、自分を引っ張り上げてくれた“過去”の山ちゃんを思い出す。そうすれば、マイナスな気持ちに引っ張られたまま日々を送らなくてもいい。まわりにいる人を愛することは、自分を愛することにつながっていく。
ただ、春日やしずちゃんみたいな生き方ができるのは、ごくごく少数だ。大半の人は、若林(髙橋海人)や山里(森本慎太郎)のように、どこかに生きづらさを抱えながら生きている。だから、若林と山里が輝いている姿を見ると、ホッとするのかもしれない。毎週、ドラマを通して、「まだまだこっから!」と背中を押してもらっているような気分になるのだ。