『だが、情熱はある』髙橋海人×戸塚純貴の“ズレ漫才”の再現度に驚き 主題歌とのリンクも

『だが、情熱はある』ズレ漫才の再現度に驚き

 人が恋におちる瞬間をはじめてみてしまったーー。『だが、情熱はある』(日本テレビ系)を観ていると、『ハチミツとクローバー』の名台詞を思い出す瞬間が多々ある。それはきっと、若林(髙橋海人)と山里(森本慎太郎)が、漫才に出会い、魅了され、恋に焦がれる少年のようにただただピュアに“笑い”を追い求めてきたからだと思う。本気の恋をすると、人は自信を失っていく。ちょっぴりわがままにもなるし、他人に対して嫉妬心を抱いてしまうこともある。そう考えると、若林と山里は、お笑いの世界に“恋”をしていたのかもしれない。

 2008年の『M-1グランプリ』(ABCテレビ・テレビ朝日系)敗者復活戦の様子が描かれた第9話。勢いに乗るオードリーと、険悪な状態の南海キャンディーズが、ついに対峙することになった。そこでいちばん驚いたのが、髙橋海人と戸塚純貴による“ズレ漫才”の再現度だ。ツッコミの速度ひとつとっても的確で、ドラマだということを忘れ、本物のお笑い番組を観ているかのような感覚に陥った。髙橋と戸塚が織りなすオードリーは、モノマネともどこかちがう。“憑依”というのが正しいだろうか。髙橋のなかには若林が、戸塚のなかには春日がしっかりと息づいている様子が伝わってきた。この2人、ビジュアル的にはまったく似ていないはずなのに、オードリー“そのもの”に見えるのだからすごい。

 そんな2人が、敗者復活戦で勝ち上がることが決まった瞬間、思わず涙が溢れだした。人が夢を叶える瞬間って、こんな顔をするんだな……と。オードリーの歴史は熟知しているし、敗者復活戦で勝ち上がったあとから風向きが変わったことも承知の上なはずなのに、まるで初めて聞いた話かのように感動することができる。というより、当時のオードリーの“裏側”を観させてもらっているような気がして、なんだかうれしい。やっぱり、ここまで作品の世界観にのめり込めたのは、髙橋と戸塚の表現力があったからこそだと思う。まるで本物の同級生のように強い絆で結ばれている2人の関係性も、グッとくるポイントのひとつだ。

 しかし、夢を叶えた人の裏では、夢に敗れた人もいる。オードリーより先にスターダムにのし上がったはずの南海キャンディーズは、コンビの不仲が影響してか、いまいち覚醒できずにいた。この当時の山里の気持ちは、SixTONESが歌う主題歌「こっから」にリンクする部分が多い。心のどこかで、自分はしずちゃん(富田望生)のようにはなれないと思っているのに、ちがう戦い方をしなければいけないと分かっているのに……。うまくいかず、むしゃくしゃした思いを、すべて相方にぶつけてしまう。だけど、“こっから”と自分を鼓舞しながら、どうにかして日の目を浴びる日を夢見ている。

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