『コタローは1人暮らし』コタローの「ママ」が響く 横山裕が狩野を演じてきた意味を再確認

『コタローは1人暮らし』狩野の最後の子育て

 “人は変われる”と思えなくなったのはいつからだろう。年齢を重ね、さまざまな人に出会い、“変われない”人たちを見てきたからだろうか。たとえば、浮気をする人は「もう絶対にしない!」と誓っても繰り返すし、嫌味なことを言う人の性格は直らない……なんて諦めてしまっている自分がいる。

 だから、『帰ってきたぞよ!コタローは1人暮らし』(テレビ朝日系/以下『コタロー』)第8話でのコタロー(川原瑛都)の純粋さが、まぶしく見えた。そして、ちょっぴり悔しくもなった。コタローの存在を丸ごと愛して、大事に包んでくれる人がたくさんいるのに、どうして父(滝藤賢一)のことを信じてしまうのだろう。あんなに苦しめられて、傷つけられて、痛い思いをしてきたはずなのに。このまま、アパートの清水で暮らしていけば、平穏なはずなのに。

「人って、そんなに変われるんですか?」

 狩野(横山裕)の問いかけに、共感した人も多いのではないだろうか。私も、やっぱりコタローの父のことは信じることができない。いくら更生したと言われても、「また同じことの繰り返しなんじゃないか?」と思ってしまう。それなのに、コタローは父親のことをピュアに信じているのがもどかしい。

 どう頑張っても、血のつながりには勝てないのだろうか。正直、狩野は実の父親よりも、コタローを大事に守ってきたように思える。初対面の時は、「面倒なやつが来たもんだな」なんてダルそうにしていたのに、今では面倒をかけられないことに寂しさを覚えるようになってきた。狩野は、ゆっくりゆっくり時間をかけて、コタローの“父親”になっていったのだ。

 だけど、コタローには“息子”感がないのも面白い。2人が並んでいても、親子というよりは、“友達”や“仲間”、“同志”のように見える。それはやっぱり、コタローが狩野に世話をされるだけの存在ではなかったからだろうか。関ジャニ∞が歌う主題歌「未完成」の歌詞にもあるように、コタローは狩野にとっての“ヒーロー”だったのだと思う。

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