『らんまん』要潤演じる田邊の描き方が腕の見せ所に 牛鍋に詰まった青春と新時代の輝き

『らんまん』要潤の描き方が腕の見せ所

 NHK連続テレビ小説『らんまん』における牛鍋は実に象徴的である。単に、画面を彩る美味しいものでも、万太郎(神木隆之介)の金遣いの荒さを笑うものでもない(それはそれで、竹雄(志尊淳)がまたお金を出しているのかーと楽しめるが)。まして、神木隆之介が以前牛若丸を演じたこととリンクするものでもない(店名が「牛若」)。牛鍋は明治という新時代の象徴にもなっている。万太郎と、東大生3人が牛鍋を囲む、第8週は、未来を担う若者のきらめきがあった。

 「君と私はつながるべくしてつながったのかもしれないな」と東大の植物学研究室の田邊教授(要潤)に言われ、研究室への出入りを許された万太郎。順風満帆かと思ったら、そうでもなかった。第8週ではしょんぼりすることもあり、田邊も、それほど申し分なく素敵な人でもなさそうなのだ。

 日本の学校の最高峰・東大に入るためにはかなりの労力が必要にもかかわらず、万太郎は「宿題も試験も論文も」すっ飛ばして、都合のいいところだけ享受しているように傍からは見えるため、研究室の人たちから冷たくされてしまう。だが研究室の人たちの万太郎へのネガティブな態度をネチネチ描くことはなく、すぐに2年生の藤丸(前原瑞樹)と波多野(前原滉)や、画工の野宮朔太郎(亀田佳明)と打ち解けることができる。

 万太郎に対して敵対心をあらわにしていた藤丸は、万太郎が彼の兎愛に理解を示したことで態度を軟化させ、野宮は万太郎の描いた絵の実力を認め、心を開く。

 他者から冷たくされると、どうしても相手がいやな人だと思ってしまいがちだが、クサ長屋の差配・江口りん(安藤玉恵)に「よそから来る者はこわいよ」「わからないものは気味悪いよ」と言われ、万太郎は自分がよそ者であることを自覚するのだ。いくら、自分らしくあれとは言っても、他者にも事情や価値観があるのだから、自分らしさを強引に押し出せば良いものではない。万太郎はそれを弁えることのできる人物である。

 万太郎が権威や出世や生活費を稼ぐことを目標にしていないから、研究室の人たちの利害関係に関係がないから幸いであった。

 「宿題も試験も論文も」ない代わり、「大学も教授も関係ない」と、誰かに媚びて、誰かの機嫌を伺って椅子取りゲームみたいなことをする気は万太郎にはない。生涯かけて、世界に存在するあらゆる植物の記録を残し、図鑑を作ろうと考えるだけだ。

 目標に燃える万太郎を見て、寿恵子(浜辺美波)は尊敬する滝沢馬琴と同じものを感じ、心くすぐられる。生涯かけて大長編の『南総里見八犬伝』を書き、目が悪くなってからは口伝で書き続けた馬琴のような生き方に、寿恵子は憧れている。彼女にとって「冒険」とはこういう、未だ誰も見ていない景色を自分の手で切り拓いていくことなのだろう。

 東大文学部の堀井丈之助(山脇辰哉)もまた、これまでの日本文学とは違う表現を模索していて、万太郎の思いに共感し、「俺たちこそが最初のひとりなんだよね」と言う。藤丸も波多野もそれぞれ、追求したいテーマを持っていて、その話になると止まらない。牛鍋をつつきながら語らう東大生3人+万太郎。『らんまん』では牛鍋をやたらと手軽に食べているように見えるが、明治のはじめ、日本ではまだ牛鍋は高級料理である。いや、令和の現代だってすき焼きはごちそうである。鎖国が終わって海外との交流が盛んになって、外国の食文化を取り入れていく日本人。牛鍋もまた文明開化の象徴のひとつであり、それを食べる4人は時代の先端なのだ。牛鍋を食べながら、新しいことを語り合う彼らは実にキラキラ輝いている。

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