『だが、情熱はある』森本慎太郎の憑依っぷりがすごい 髙橋海人の“若林っぽさ”も進化

『だが、情熱はある』森本慎太郎の憑依っぷり

 このドラマ、“山ちゃん”こと山里亮太(森本慎太郎)に共感すると言うと、「マジで!?」と驚かれるかもしれないが、どんな人のなかにも、彼のような妬み嫉み精神は息づいていると思うのだ(程度の差はあれど……)。

 たとえば、学生時代に運動が得意な同級生を見て、「なにくそ」と悔しくなった経験はないだろうか。体育のテストで、自分の前の順番の子が失敗をすると、ちょっとホッとしたり。「全然勉強してない〜」と言っていた友達がテストで高得点を叩き出した時には、なんだかイライラして、「次はあいつには負けない!」と徹夜で勉強に励んだ思い出もある。

 もちろん、「自分以外みんな不幸になっちゃえ!」なんて思わない。だけど、自分よりもイケてない人を見るとちょっぴり心が安らぐ。みんな、そんな感情を秘めながら生きている。山里との違いは、それを口に出すか出さないか。山里の場合は、『たりないふたり』の解散ライブ終了後に若林正恭(髙橋海人)が倒れた時にまで、「やばいなぁ、若ちゃん伝説になっちゃうな」と言ってのけるのだから、負の感情がたりすぎている。

 『だが、情熱はある』(日本テレビ系)第2話でも、山里の負の感情は止まることを知らない。吉本興業の芸人養成所「NSC」のオーディションでも、自分を振った女の子への怒りをつらつらと吐き出した。ふつうなら、そんな恨み節なんて聞いていてマイナスな気分になるだけだと思うだろう。でも、山里の場合は違う。それでいて、クスッと笑わせてしまうのだからすごい。

 ちなみに、今回も森本の憑依っぷりはすさまじかった。語りのシーンの手の動かし方、メガネの持ち上げ方、小鼻のふくらみ加減まで、しっかり山里亮太になりきっていたのだ。ビジュアルは全然違うのに、ここまで似せることができるのは、山里へのリスペクトがあってこそだろう。

 ラジオ番組『SixTONESのオールナイトニッポンサタデースペシャル』(ニッポン放送)で、森本が「山里さんと自分は、中身が真逆だからむずかしい」と話していたことがあった。でも、だからこそ『だが、情熱はある』における芸人・山里亮太という人物が、より魅力的に映っているのだと思う。山里が持つ“陰”の要素と、森本が持つ“陽”の要素が合わさることで、観ている側にとって心地いい空気感が生まれているのだ。

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