トム・ハンクスがベテラン俳優の妙味を醸し出す 『オットーという男』が描く“生きる意味”

『オットーという男』が描く“生きる意味”

 さて、そんな本作が描いた“生きる意味”とは何だったのか。贅沢や快適な経験をしたり、愛する人と触れ合えたり、自分の才能を世に認められたりなど、人生を生きる理由や目的は、もちろん人によって異なる。だが、その人生を自分自身が納得して過ごせているかどうか、そして、そこに意義を見出せているかどうかは、誰にとっても重要なことなのではないか。

 オットーの人生の目的の大部分は、愛する妻と過ごし、彼女のために生きることになっていた。そこまで一人の人間を愛することができたり、人生を捧げる対象を見つけ出せたというのは、非常に幸運なことだ。しかし、だからこそ彼は、妻を失ったことで人生の意味までをも失ってしまったのだ。この問題は、家族や恋愛の話だけにとどまらない。仕事や技術、蓄財など、人生を捧げる対象を失ってしまったり、目的が果たせなかったときに、人はどうやって生きていけばいいのかという疑問が、本作が取り組んだ課題なのである。

 オットーという人物の存在は、そこに“利他的な価値観”を投げ込んでくる。オットーは青年時代、兵士として国を守ろうと決意していたが、持病の問題によって断念したというエピソードが描かれていた。そこに現れたのが、後に妻となる女性である。運命であるかのように、オットーは自分の持っていた利他的な精神を、彼女のために向けるようになるのだ。つまり、もともとオットーは、自分よりも誰かを助けたいと思うタイプの人物なのである。だが、ある事件をきっかけに社会に裏切られ、彼の愛情は妻だけに向けられるようになった。

 しかし、行き場のないオットーの利他的な愛情が、周囲の人々や猫など、注ぐことができる対象を得て、彼は新たな生き甲斐を見つけることとなったのである。そして、そのことによって彼自身もまた、少なくない人々に愛され、尊敬される存在となった。オットーよりも優れた才能を持った人は山ほどいるし、多くの資産を持っている人や、彼よりも大勢の家族に恵まれている人も大勢いるはずだ。でも、彼ほど充実した日々を送ることができている人は、そうはいないのではないだろうか。

 これは、非常に現代的な問題であるといえる。というのは、近年のソーシャルメディアの発達によって、そこで脚光を浴びているような、富や名声、特別な才能を持っている人間や、そのように自己を演出している“成功者”に憧れ、そういった傑出した個人になることが人生の意味だと、少なくない数の人々が考えるようになった状況があるからである。もしそうなれなければ、人生は失敗なのだろうか。本作の提示した答えは、そういった価値観へのカウンターになり得るものでもある。

 そうした“成功者”のなかには、自分だけが得すれば、自分が脚光を浴びればいいという価値観を持った人々も存在するはずである。また、欲得にかられた政治家や企業家の悪事が露見した際の醜態を見ていても、そういった利己主義に走った先に、オットーのような充実した人生があるとは思えない。本当に自分が納得し、誇れる生き方というのは、自分ではない誰かや世の中のために、自分の力の及ぶ範囲で、いかに貢献することができたかということなのではないか。地位や名声、人から慕われ尊敬されるというのは、その結果として自然についてくるものだと考えた方がいいのではないだろうか。

 このような意見は、当たり前なことじゃないかと感じる人もいるかもしれない。だが現代において、この真っ当な価値観が広く機能しているとは、到底思えないのである。これは個人の人生だけの問題ではなく、まさに劇中で語られた、現代の「死にゆくアメリカ」、「死にゆく世界」を救うための、古くからの、そして新しい対抗策でもあると考えられるのである。

■公開情報
『オットーという男』
全国公開中
出演:トム・ハンクス、マリアナ・トレビーニョ、マヌエル・ガルシア=ルルフォ、レイチェル・ケラー
監督:マーク・フォースター
脚本:デヴィッド・マギー
製作:リタ・ウィルソン、トム・ハンクス
原作:フレドリック・バックマン
配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント

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