こんなスピルバーグ観たことない! 『フェイブルマンズ』が描く恐るべき映画の真理
高校時代のエピソードでは、さらに残酷な映画の特質が浮き彫りになる。どんなに自分を誤魔化して撮った映像でも、作り手の感情はスクリーンに如実に表れてしまうものだ……思春期のサミーが遭遇する痛切な体験として、監督は容赦なくその真理を描く。凡庸な演出家が撮れば、その凡庸さが画面に表れるだけだろう。だが、サミー少年=スピルバーグはその一線を越えてしまった。そうなった以上、もう「自分に嘘をつかずに済む映画作り」をしていくしかないと、若きスピルバーグが己に課した不器用な決意にも見える。
サミーの人生を決定づける「呪い」は、もうひとつある。母方の大伯父で、サーカス団や映画業界で働いたこともあるボリスおじさん(ジャド・ハーシュ)の言葉だ。「芸術と家族、このふたつがおまえを引き裂く」……誰しも子どもの頃に聞いた言葉に、その後の人生を通じて影響され続けることはあると思うが、スピルバーグが授かった「予言」として、こんなにも説得力のあるセリフはない。『普通の人々』(1980年)から43年、またしても圧倒的名演を観客の脳裏に刻み込むジャド・ハーシュの秘密兵器感も強烈だ。
このように全編を通じて「映画の恐ろしさ」に打ちのめされていく主人公だが、それでも彼は観客の心をつかみ、感情を自由自在に操るエンターテインメントの作り手となる道を選ぶ。その覚悟に、我々は感謝とともに、凄みを感じずにいられない。恐ろしさを我がものとし、自らも怪物となること……そんな悲愴で重たい決心を描いた懺悔録にもなりかねない物語でありながら、それだけでは終わらないところもまた、スピルバーグのスピルバーグたる所以である。
サミーと「映画の神様」ジョン・フォード監督の邂逅を描いたエピローグは、この映画で最も爽やかな風が吹き抜けるパートだ。あのデヴィッド・リンチがフォード役という、もはや発明とも言えるキャスティングにも痺れるが、このシーン全体がひとつの見事な短編映画として成立するほど素晴らしい。ここでフォードが投げかけるのは、観念ではなく実践を促すシンプルな魔法の言葉だ。東村アキコの漫画『かくかくしかじか』で言えば、絵画教室の日高先生が発する「描け!」の一言。ボリスおじさんの呪いとは対照的なその言葉が、主人公が一歩を踏み出す大きな力となる。
そして、ラストカットの切れ味鋭い“しくじり”も、それまでの重量感をあっと言う間に吹き飛ばしてしまう。本作が決してキャリアの集大成などではないという茶目っ気たっぷりな宣言のようでもあり、「映画はそれでいい」という巨匠の言外の教えに従うかのような軽みが心地好い。2023年になっても、「こんなスピルバーグ観たことない!」と思わせる、恐るべき映画である。
■公開情報
『フェイブルマンズ』
全国公開中
監督・脚本:スティーヴン・スピルバーグ
脚本:トニー・クシュナー
音楽:ジョン・ウィリアムズ
衣装:マーク・ブリッジス
美術:リック・カーター
編集:マイケル・カーン、サラ・ブロシャー
撮影:ヤヌス・カミンスキー
配給:東宝東和
151分/原題:The Fabelmans
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公式サイト:https://fabelmans-film.jp/
公式Twitter:https://twitter.com/fabelmans_jp