『ボーンズ アンド オール』突出した映像美とともに描き出す、孤独な若者たちの人生の季節

 『ミラノ、愛に生きる』(2009年)、『君の名前で僕を呼んで』(2017年)、『サスペリア』(2018年)など、類まれなセンスによる独自の世界観が評価され、映画監督、プロデューサーとして国際的な活躍を続けている、ルカ・グァダニーノ。そんな彼が、再び俳優のティモシー・シャラメらとともに送り出した映画が、『ボーンズ アンド オール』だ。

 その内容は、カミーユ・デアンジェリスの小説を原作に、“カニバリズム(人肉食)”の要素を、青春恋愛映画のジャンルに落とし込むといった、いかにもグァダニーノ監督らしい意表を突いたもの。1980年代アメリカのいくつもの州を巡りながら、“人喰い”の若い男女の心の変遷が描かれていく。

 物語は、生まれつき“人喰い”の性質を備えた主人公の少女マレン(テイラー・ラッセル)が、ヴァージニア州で学校の友人の指に衝動的に食いついてしまい、州外へと逃亡するといった、衝撃の展開から始まる。父親から見限られ、孤独な境遇となったマレンは、母親を探す旅のなかで、危険な雰囲気をまとったサリー(マーク・ライランス)や、リー(ティモシー・シャラメ)などの“同族”と出会う。なかでも純心な性格で、一緒にいて居心地の良いリーとは、中西部をまたいで、お互いの絆を深めていくことになる。

 とはいっても、『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』(1994年)や『トワイライト』シリーズで描かれた吸血鬼映画のような、ロマンティックな映画として本作を観ると、スプラッター映画のように血みどろの“食人”シーンに、観客は面食らうことになるだろう。

 自ら殺した人間の死体をもてあそび食っていたとされるエド・ゲインや、「食人鬼」と言われたジェフリー・ダーマーのように、現実のアメリカには人肉を喰らう凶悪な連続殺人犯が実在した。ここで暗示されているのは、そんなアメリカの忌まわしい事件の歴史と、犠牲者たちの陰惨な死体損壊のイメージである。そのような危険な嗜好を、一種の吸血鬼ファンタジーに投影させているのが本作なのである。しかしそんなものが、なぜ青春や恋愛と結びつくことになるのだろうか。

 それは、本作が“人喰い”をそのまま描こうとしているわけではない……というように、他のチャンネルに合わせて考えると良いだろう。現代社会において加害的な“人喰い”が忌み嫌われるのは当然だが、時代、場所によっては加害性がない性質、特徴だとしても、様々な社会的マイノリティが同様に忌避され、不当に攻撃されている。本作は、そのように社会から阻害され、家族からすら理解されない若者たちが、どのように生きていくかを模索していくという意味で、子どもから大人へと変化する不安定な青春時代を暗示しているといえる。

 しかし、“人喰い”の加害性は何を象徴しているのだろうか。おそらくそれは、性的な衝動のことなのではないか。他者に対する性的な行為やそれに類する働きかけというのは、身勝手な思いにとらわれた同族サリーの行動が象徴しているように、お互いの同意や気遣いがなければハラスメントや暴行になってしまう。つまり性衝動には、本質的に動物的な攻撃性、加害性が含まれているのではないか。サリーが年を経ても相手の身になって考えることができないのは、自身をファーストネームで呼んでいるチャイルディッシュさからも読み取ることができる。

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