『夕暮れに、手をつなぐ』のカギは永瀬廉の自然な演技にあり? モノローグに感じる“憂い”
「僕たちは、夕暮れに手をつないだ。夏の花火を夢見ながら。でも、僕たちに夏は来なかったんだよな。2人の夏はなかったんだ」
火曜ドラマ『夕暮れに、手をつなぐ』(TBS系)では、脚本家・北川悦吏子が綴るこういう抒情的なモノローグがたびたび流れる。ともすれば、聴く人が気恥ずかしくなってしまいそうなモノローグでさえも心地よく響かせてくれるのが永瀬廉だ。
永瀬が本作で演じるのは、神戸から上京してきて、喫茶店でアルバイトをしながらコンポーザーとしてメジャーデビューを目指す青年・海野音。自身も人生の大半を大阪で過ごし、東京でKing & Princeのメンバーとしてデビューした永瀬にとってはかなり近しい人物像である。だが、アイドルとして大きな舞台に立つ永瀬に対し、音はレコード会社に所属はしているがなかなか芽が出ない。かといって、貪欲にチャンスを掴みにいくタイプでもなく、くすぶっているところに出会うのが主人公の空豆(広瀬すず)だ。
空豆は九州地方の方言をミックスした訛りの強い言葉を話し、さっぱりしたくて噴水で顔を洗ったり、どういう構造になっているか知りたくて人のドレスを勝手に解体したり、その言動は常に予測不能。清々しいまでに現実離れした彼女のキャラクターに対して、音はかなり普通だ。いや、ひと癖もふた癖もあるキャラクターが大集合しているこの物語において、唯一これといった個性が与えられていないキャラクターと言っても過言ではない。
新人アーティストの育成を担う磯部(松本若菜)からビジュアルの良さはお墨付きだが、異性からモテまくるってほどではない。天才的な音楽の才能があるというよりは、こつこつ努力を重ねていくタイプだけど、すごく情熱的なわけでもなく、冷めきっているわけでもない。演じる側が役作りに困りそうなこの無個性なキャラクターを永瀬が見事にモノにしている。どこかにいそうな人物として音を存在させる永瀬の限りなく自然な演技が、あり得ないと思うような設定も展開も見やすくしてくれているのだ。