『THE LAST OF US』を原作ゲームと比較検証 日常を描いたドラマならではのアプローチ

 日進月歩の成長を遂げ、ときに映画やドラマ以上の製作費をかけて、深い感動を与える作品が登場してきているテレビゲーム業界。そのなかでも圧倒的な物語の力で、深みのある人間ドラマを描き、シリーズ2作ともに、おびただしい数のメディアで「ゲーム・オブ・ザ・イヤー」を獲得した名作が、『The Last of Us(ザ・ラスト・オブ・アス)』である。そんな、多くのファンに認められているゲーム作品のドラマ版が放送、配信され、世界中で話題を集めている。日本ではU-NEXTで配信中だ。

 果たして、名作ゲームは名作ドラマにもなっていくのだろうか。ドラマ『THE LAST OF US』が第5話までが放送、配信されている現時点で、どちらに分があるのかを、両方の内容を追いながら考えていきたい。

 人間を凶暴化させてモンスターのような姿にしてしまう寄生菌が発生し、生存者たちがパンデミックの脅威や感染者の襲撃によって崩壊したアメリカで生きようとするという、ゲームを原作とした物語は、大きい意味では“ゾンビもの”のジャンルに入るといえるだろう。そのジャンルのなかで、『The Last of Us』が特徴的だったのは、感染者が襲ってくる恐怖以上に、極限的な環境で醸成される、生存者たちの群集心理や、人間個人の心の動きの方に焦点が当てられ、その深度が並のものではないという点だ。

 ゲームシリーズ『The Last of Us』が描こうとしたのは、極限状態であぶり出される、人間の本質そのものである。“人間を描く”というのは、まさに映画やドラマの多くが、もともと大命題として掲げてきた、大きな目標だ。その一つの優れた成果物の内容が、ゲームという媒体から映像作品に環流する。

 そしてこれは、ゲームシリーズのクリエイティブ・ディレクター、ニール・ドラックマンの新たな挑戦でもある。ゲームシリーズ2作で、多くのプレイヤーの心をえぐり、高次元の人間ドラマを練り上げた彼が、ドラマ版の脚本にも参加しているのだ。さらに、原発事故の実話を基にして話題となったドラマ『チェルノブイリ』の脚本・製作総指揮を務めたクレイグ・メイジンが共同脚本を務め、それぞれにエピソードの監督も手がけている。

 主人公となるのは、パンデミックの混乱のなかで、実の娘を目の前で失った中年男性ジョエルと、菌への耐性を持つことで、“人類を救済する鍵”とみられる少女エリーである。ジョエルは、エリーを感染者や略奪者、軍や民間の自治組織などの追撃から守りながら、彼女を目的地へ送り届けるべく進んでいく。二人を演じるのは、ともに大ヒットドラマ『ゲーム・オブ・スローンズ』で存在感を示した、ペドロ・パスカルとベラ・ラムジーである。

 設定やストーリーの流れは、第5話までが発表されている現時点では、基本的に原作ゲームに沿っているといえる。ジョエルとエリーは、数々の脅威を克服しながら、「アメリカの最期(The Last of US)」を目撃し、二人にとっての「私たちの結末(The Last of Us)」へと向かって、歩みを進めていく。

 ジョエルとエリーが遭遇することになる感染者たちは、感染の進行の程度によって姿や能力が変異していく。第一段階「ランナー」は、襲撃を受ける者にとっては、“走るゾンビ”に近い敵となる。第三段階「クリッカー」は、完全にモンスターと化し、クリック音を発しながら、聴覚のみを頼りにして人間に襲いかかってくる不気味な存在となってしまうのだ。このクリッカーに気づかれぬように、息をひそめるサスペンスシーンの映像自体は、原作ゲーム同様に迫力がある。

 とはいえゲームでは、プレイヤー自身が主人公たちを実際に操作することで、この恐怖のクリッカーに立ち向かわなければならなかった。大きな音をたてないようにゆっくりと動きながらやり過ごしたり、急所に何発も銃を撃ち続けたり、気づかれる恐怖に耐えながら背後に忍び寄って、ナイフを使った“ステルス キル”を強いられることになる。

 手順を一歩間違えれば、主人公が虐殺されてしまうという悪夢的な緊迫感は、やはりゲームのプレイ体験の方がドラマの描写に比べ圧倒的に強いといえるだろう。実際、筆者は涙目になりながら、やっとの思いでシリーズをクリアしている。この点で、ドラマ版がどれだけ表現力、演出力を高めたところで、その部分で打ち勝つことは困難だといえる。

 プレイヤーが主人公たちを操作するという行為でリアリティが高まるというのは、『The Last of Us』以外のゲームでも同様。だから、ホラー映画は観られても、それ以上に臨場感のあるホラーゲームはプレイできないという人は少なくない。その意味でいうとドラマ版は、間口が広くなっていると考えることもできる。そもそも家庭用ゲームをプレイするには、対応するゲーム機や、仕様に適合したPCを用意して、映画ソフトよりも比較的高額なゲームソフトを購入しなければならないので、敷居が高いのだ。

 だが原作ゲームで意外と重要だったのは、プレイヤー自身がコントローラーのボタンを押すことで、主人公たちがはじめて敵を攻撃するというプロセスそのものでもあった。自分たちが生き残り、ストーリーを進めていくためには、ときに残酷で非人間的な行動をとらなけらばならない。モンスターの姿へと変わっているとはいえ、打ち倒していかねばならない感染者一人ひとりは、人間なのである。また、感染していない人間すら殺害することを余儀なくされる場面も出てくる。プレイヤー自身の手で攻撃の命令をすることで、キャラクターの苦い思いや罪悪感までをも共有させるのである。

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