三池崇史監督の作風と韓国作品・配信作品の過激さが合体 日韓合作『コネクト』の存在価値

 眼を奪われた不死身の“コネクト”と、優秀な頭脳を持つ異常な猟奇殺人犯。この二人の人物は、やがて対峙し、雌雄を決することとなる。その戦いの過程で、ドンスの身体は何度も傷つき、切断され、血まみれの状態になっては、身体から伸びる奇妙な触手によって治癒されていく。この荒唐無稽な設定と、過激な描写は、まさに三池監督のために書かれた物語だといえよう。

 三池崇史監督作を追いかけているファンのなかでとりわけ人気を集めるのは、『DEAD OR ALIVE』(1999年) 、『殺し屋1』(2001年)、『極道恐怖大劇場 牛頭 GOZU』(2003年)などの、闇社会を題材にしつつも荒唐無稽なファンタジーやショッキングな描写がある作品であり、『オーディション』 (2000年)や『悪の教典』(2012年)など、サイコキラーの恐怖や活躍を描いた作品である。まさに『コネクト』は、ある意味これらを“繋げる”ような内容となっている。

 死を超越した“コネクト”は、子ども時代のドンスが「化け物」と呼ばれたように、社会から異端視される存在だ。しかし、一方では病や怪我などを克服して生き続けたいと願う人間にとっての理想であり、優れているといえる。先日配信された『ギレルモ・デル・トロのピノッキオ』同様、本シリーズでは、超越した立場からの視点で、人間とは、生命とは何かという、哲学的な思考を促しているところがある。

 そして逆説的に、簡単に治癒できる身体を持たないわれわれの生命の儚さを思い起こさせる。人間は、臓器の一つを病に侵されたり、深い傷を負っただけで、健康な状態から一気に“死”へと近づいてしまう。本シリーズは、それを踏まえてどう生きていくのかについても、立ち止まって考えさせるのである。

 ラテン語では、「死を忘れるな」という意味の、「メメント・モリ(memento mori)」という言葉がある。中世の修道士などが、机の上に人間の髑髏をオブジェとして置いて、常に死を思い、考えるという行為を日常化していたのは、この概念からである。この“死”のモチーフは、芸術作品にもたびたび用いられてきた。本シリーズにおける“死体アート”は、まさにこれをテーマとしているといえるだろう。

 人は、必ず死んでしまう。だからこそ、生命を大事に扱い、悔いのない生き方をすべきではないのか。血みどろの姿を描いていく本シリーズのような作品は、ただ悪趣味な娯楽作として切り捨てることもできる。しかし一方では、この“机の上の髑髏”のような悪趣味さが、「メメント・モリ」の精神を心に刻むという意味があるともいえるのではないか。

 そして、このような奥行きは、もともと三池監督のバイオレンスのなかに内包されていたものだったのかもしれない。これを顕在化させてくれたというだけでも、本シリーズ『コネクト』の存在価値は十分にあるのではないだろうか。

■配信情報
『コネクト』
ディズニープラス スターにて全6話独占配信中
出演:チョン・ヘイン、コ・ギョンピョ、キム・ヘジュン
演出:三池崇史
脚本:NAKA雅MURA、ホ・ダム
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