『エルピス』における“希望”の礎となった岸本拓朗 眞栄田郷敦が見せた俳優としての実力
「もう君、最高!」
『エルピスー希望、あるいは災いー』(カンテレ・フジテレビ系)の最終回で、恵那がそう言って拓朗を抱きしめた時に思わず泣けた。あの言葉は、演じる長澤まさみから眞栄田郷敦への本心も含まれていたんじゃないだろうか。そう思わざるを得ないほどに、本作では眞栄田のファインプレーが光っていた。
岸本拓朗という男は、このドラマに登場する人物の中で最も変化したとも言えるが、最も変化していないとも言える。大洋テレビをクビになった拓朗を、記者としてスカウトした佐伯(マキタスポーツ)はその理由について「重要なのは、最初から本人の中にあるべきものがあるかどうかだ。君にはそれがある」と語り、続けて「死ぬまで一生奴隷なんだよ、それの」と述べた。
拓朗の不変的な部分は、彼の言う“あるべきもの”や、“それ”に該当する。正義感か、好奇心か、信念か。どの言葉もあまりしっくりこないが、強いて表現するなら、最終話で恵那が拓朗にぶつけた「一人の人間としてまともに生きたいだけ」という願いなのかもしれない。
きっと拓朗は自分が標的になるのを恐れ、いじめを受けていた友人を助けられなかった時から、心の底ではずっとその願いを持ち続けていたのだと思う。当初の彼は自分の心を守るために、一点の曇りもない完璧な人生を送る「勝ち組」の仮面を被っているように見えた。それでも、何もなかったことにはできず、友人の墓参りを続ける拓朗の変わらなさこそ、本作における“希望”の礎となっている。
恵那とともに冤罪事件を追う中で、「まともに生きたい」「正しいことがしたい」という願いを強めていった拓朗だが、母親に守られてきた世間知らずのお坊ちゃんであるが故に、その過程で次々と社会の洗礼を受ける。その度に見せる反応が、作品全体に新鮮な風を吹かせていた。
“チェリーさん”こと、さくら(三浦透子)に脅されて仕方なく独自調査を始めた頃の拓朗はどことなくコミカルだったが、村井(岡部たかし)に自分の罪と向き合わされてからは風貌から何まで激変。世界の全てを憎む冷めきった瞳が恐ろしくもあり、不思議と魅力的でもあり、ただ全身が粟立った。その後、恵那の言葉で回復して以降は、序盤の拓朗と中盤の拓朗が少しずつ統合していくような芝居を眞栄田は見せる。
特に、クビ直後に武田信玄の扮装をした桂木(松尾スズキ)から激励される場面と、大門亨(迫田孝也)の死後に自宅を訪ねてきた恵那をインターホン越しに追い返そうとする場面。どちらも決して笑える状況ではなく、拓朗自身も満身創痍であるにもかかわらず、佇まいや表情に一瞬ユーモアが混じる。一つの作品で、しかもワンシーンに塩梅よくシリアスさとポップさを芝居に同居させられるものなのかと驚かされた。眞栄田は俳優歴3年目だが、その間に原作のある王道の恋愛ドラマからコメディ、スポーツものまで、どのジャンルの作品でも一切手を抜かず、自分の身を捧げてきた経験が本作に活きている。