『エルピス』“正しさの狂気”に呑まれているのは視聴者自身か 長澤まさみの眩しさと危うさ

「その話をするなら、僕はまずこの店を閉めなければ。シャッターを下ろして鍵を閉め、この電気を消し、そしてあなたが聞くというのなら話しますよ」

 謎の男(永山瑛太)は浅川(長澤まさみ)に向けてそう言った。それはまるでこれ以上先に進むならもう引き返せないと言っているようにも聞こえた。

 冤罪事件の真相を追う浅川と岸本(眞栄田郷敦)。その姿は、少しずつ正しさの狂気を帯びはじめていた。

浅川の行動をどう捉えたかで、視聴者は2種類に分けられる

 死刑囚・松本(片岡正二郎)の無実を証明するため、事件当日の足取りを再現する浅川と岸本。その結果、見えてきたのは、警察の主張に対する矛盾と疑問。やはり松本は潔白ではないか。しかし、当の警察に取材に行っても、捜査に間違いはないの一点張り。万が一にでも過失を認めたら、警察の沽券にかかわる。権力を持つ者は、自分たちの体裁とプライドを守ることに必死だ。

 一方、被害者遺族のもとを訪ねても、根強いマスコミへの不信感から門前払い。岸本はそれを当時のマスコミのせいだと開き直る。だが、浅川はもうそこで責任逃れをしようとはしない。「私たちだって同じマスコミなんだから」とこれまでの報道の罪と過ちを引き受けようとする。

 なぜなら、浅川には自覚があるからだ。ずっと真実かどうかわからないことを、さも真実のように報道し続けてきた自覚が。その罪を背負うと決めたから、もう言い逃れはしない。そこには、上司からのハラスメントも薄っぺらいニュースも飲み込んできたほんの少し前の浅川はいない。彼女は、目覚めたのだ。

「私はね、もう迷わない。これからは正しいと思うことだけをやるの」

 そうきっぱりと宣言する浅川の目に迷いはない。そんな浅川を、岸本は「何やらスピリチュアルめいた威厳さえ備え」と形容する。この一言に痛烈な皮肉を感じる。

 実際、私たちは覚醒した人たちを、時に不気味がり、距離を置きたがる。ついほんの少し前までほのぼのとした日常をツイートしていた人が、あるときを境に急に政治的な内容ばかりつぶやきだすと、まるで人がおかしくなったような目で見てしまう。「ネトウヨ」だとか「アベガー」だとかキャッチーなスラングをつけて遠ざける。「スピリチュアル」もそのひとつだろう。

 あの『フライデーボンボン』は、日本のメタファーだ。安定とは名ばかりで、浮上の目もないまま、10年間低空飛行。才能なくても、頑張らなくても、生きていける場所。難しいことを考えるのが嫌だから、ただ思考停止をして、くだらない話題を消費し、世の中は平和だと思い込む。そして、もしも予定調和を乱すような不満分子が現れたら、空気が読めないと排除。そうやって見たくないものをなんとか見ないふりをしてここまでやってきた。

 そんな集団規範をぶっ壊そうとしているのが、浅川だ。浅川はまず若い世代を味方につけ、冤罪事件の企画を通そうとする。だが、局長権限であえなくお蔵入り。一時は失意で自分を見失いかけたかのように見えたが、斎藤(鈴木亮平)との夜を経て、眠りから覚めた浅川の目は、覚悟の決まった人間の目だった。そして、その予感を証明するように、独断でVTRを差し替え、お蔵入りになったはずの取材映像を電波に乗せてしまう。

 岸本の同級生が、墓参りに行く者と行かない者で2種類に分けられるように、きっとこのとき、僕たち視聴者も2種類に分けられた。浅川の行動に喝采をあげたくなった者と、恐怖を感じた者だ。正しさに行使する者は、時に眩しく、時に危うく見える。

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