岸井ゆきの×三宅唱が『ケイコ 目を澄ませて』に込めたものとは? “まなざし”の表現力

岸井ゆきの×三宅唱が『ケイコ』に込めたもの

 「完成した映画へのご感想を教えてください」――そんなシンプルな質問に対して、主演の岸井ゆきのは、ある種の「熱量」をもって、こんなふうに応えている。

「自分が出演した映画を、こんなに何回も観たのは初めてです。撮影前から自分の十字架になるような映画にするという覚悟はありましたが、全くその通りになりました。どのカットも、どのシーンも、2度とできないものです。撮影中、ワンカットが終わるたびに、何か大事なものを失っていくという感覚がありました。完成した作品を観て、その時に失ったと感じていたものが、映し出されていることに気付きました。あの時の私のすべてが、この映画に入っています。代表作になったと思います。私はこれから一生、この作品を背負っていくことになるのだと思っています」(岸井ゆきの)

 その「熱量」たるや、並々ならぬものがある。12月16日の公開に先駆けて、現在開催中の釜山国際映画祭でも話題となった三宅唱監督の映画『ケイコ 目を澄ませて』のことだ。今年の2月にベルリン国際映画祭でプレミア上映されたのを皮切りに、世界中の映画祭で続々と上映が決定している本作。今すぐにでもスクリーンで観たい――そんな声が早くも聞こえてきそうだけれど、その日本公開を誰よりも待ちわびているのは、恐らく岸井ゆきの本人に違いないだろう。とかく映画というものは、企画段階から撮影、そして公開まで時間が掛かるもの。ましてや、本作の企画が動き出したのは、コロナ禍の前――どころか、そこからさらにさかのぼること、1年以上も前のことであったという。

「お話をいただいたのは、ちょうどNHK連続テレビ小説『まんぷく』(2018年度後期)に出演していた時でした。自分は主演という責任を背負えない俳優ではないのかと思っていた頃でしたので、非常に不安でした。でも、時間が経つうちに、監督が三宅さんに決まって、スタッフや共演の皆さんも固まって、この方たちとならできるかもしれないと思い始めました」(岸井ゆきの)

 振り返れば2022年、『やがて海へと届く』(中川龍太郎監督)、『神は見返りを求める』(𠮷田恵輔監督)、『犬も食わねどチャーリーは笑う』(市井昌秀監督)など、主演級の出演映画が次々と公開されるなど、目覚ましい活躍を見せている岸井(ドラマ『恋せぬふたり』(NHK総合)、『パンドラの果実~科学犯罪捜査ファイル~』(日本テレビ系)の好演も強く印象に残っている)。しかしながら、その「準備」という意味で最も時間を掛けたのは、間違いなく本作『ケイコ 目を澄ませて』になるのだろう。というのも、この映画で彼女が演じたのは、聴覚障害と向き合いながら実際にプロボクサーとしてリングに立ち、そんな自らの出自や体験を『負けないで!』という本にも著している「小笠原恵子」をモデルとした人物なのだから。

 この企画と出会うまで、ろう者にもボクサーにも縁が無かったという岸井は(それは、三宅監督自身も同じであったという)、実際の撮影に入る相当前の段階から、手話とボクシングのトレーニングを始めるのだが――その具体的な「苦労」については、敢えて本稿では触れない。ここに記しておきたいのは、あくまでもその「映画」の中身について――もっと言うならば、手話とボクシングのトレーニングを経て活写されたこのフィルム(文字通り本作は、全編16mmフィルムで撮影されている)において改めて浮き彫りになった、彼女の役者としての「魅力」なのだから。それは、岸井の「目」であり「まなざし」の繊細かつ豊かな表現力である。

 先の本人の発言にもあったように、NHK連続テレビ小説『まんぷく』で演じた、安藤サクラ演じる主人公の姉(松下奈緒)の長女・タカ役によって、一気に知名度を上げた感のある岸井だけれど、映画ファンにとって、それ以上に強く印象に残っているのは、それから程なくして公開された、今泉力哉監督の映画『愛がなんだ』(2019年)の主人公・テルコ役だった。成田凌演じる「マモちゃん」に執着し、彼をじっとりと見つめるテルコの「まなざし」。あるいは「幸せになりたいっすね」と笑顔で語り掛ける友人(若葉竜也)に向けて「うるせえ、バーカ!」と言い放つ、あまりにも鋭い「まなざし」。その頃から彼女は、とても「目」が印象的な役者だった。

 それは、近作においても同様である。『やがて海へと届く』で、浜辺美波演じる親友の死を受け入れることができず、いつまでも宙をさまよい続ける主人公・真奈の「まなざし」。『神は見返りを求める』で、ムロツヨシ演じる主人公に最終的に向けられる、徹底的な憎悪の「まなざし」。さらに、『犬は食わねどチャーリーは笑う』で、香取慎吾演じる夫の言われるままだった彼女が最後の最後に打ち放つ、毅然とした「まなざし」。彼女の「目」は、いつだって雄弁に、ときに予想を超える鋭さで、観る者の心を深々とえぐり取ってきたのだ。

三宅唱監督作『ケイコ 目を澄ませて』本予告

 けれども、本作『ケイコ 目を澄ませて』における彼女は――短いシーンの断片が繋ぎ合わせられた「予告編」の映像を観てもわかるように、それらのどれとも異なる「目」をしているのだった。これまで見たことのない岸井ゆきのが、そこに映し出されているのだ。否、そこにいるのは「岸井ゆきの」ではなく、実在の人物をモデルとしながら、このコロナ禍の情況の中で彼女と監督が生み出していった「ケイコ」という、この映画の中だけに「生きる」人物と言ったほうがいいのかもしれない。それぐらい鮮烈な役どころなのだ。

 耳の聞こえないケイコは、日頃から健聴者以上に多くのものを見つめている。ただ見つめているのではない。そこに何かを注意深く読み取ろうとしているのだ。リングに立つ彼女の、対峙する相手の一挙手一投足を見逃すまいとするその「まなざし」は、まさしく真剣そのものだ。しかしながら、そんな彼女の背中を、遠くからじっと見つめる者たちがいる。三浦友和演じる会長をはじめ、彼女のトレーナーなどジムの関係者たち。そして、彼女と同居する弟や彼女の試合を恐る恐る見つめる母親。そう、この映画は、まさしく「見ること」についての映画でもあるのだ。それはどうやら「映画」の中だけの話ではなかったようだ。三宅監督は、本作の現場について、こんなふうに語っている。

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