『鎌倉殿の13人』全ての分岐点となっていた八重の死 反復される物語と台詞を読み解く

 NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が、第2章の終わりを迎え、遂に最終章へと向かおうとしている。第39回予告編における、時折穏やかならざるものが見え隠れする「穏やかな一日」で何が描かれるのか想像するだけで待ち遠しいが、10月9日は本編ではなく、出演者による『「鎌倉殿の13人」応援感謝!ウラ話トークSP ~そしてクライマックスへ~』が放送されるとのこと、楽しみである。

 大河ドラマの終盤戦の醍醐味と言えば、1年近く観てきたからこそわかる物語の反復や、台詞の反復を通して、登場人物たちの成長や変化が見えてくることではないか。三谷幸喜脚本の巧みさに毎度驚かされる本作ならなおのこと。例えば、ここにきて繰り返される兄・宗時(片岡愛之助)の言葉「板東武者の世を作る。そして、そのてっぺんに北条が立つ」だったり、息子・泰時(坂口健太郎)がかつての義時(小栗旬)の台詞「承服できません」を義時にぶつけるようになったり、和田義盛(横田栄司)がなぜか急に上総広常(佐藤浩市)と重なるような発言をし始めたりという変化に心をざわめかせずにはいられない。

 頼朝(大泉洋)の死以降を描く第27回が第2章の始まりだとして、第27回から10月2日放送回の第38回を通しで観ていると、なぜかどうしても戻ってしまう不思議な放送回がある。第21回「仏の眼差し」である。この回は義時の妻・八重(新垣結衣)の死が描かれた回だ。それと同時に、大姫(南沙良)が「元気がでるおまじない」と言って「オンタラクソワカ」を唱える回であり、義時と運慶(相島一之)が初めて言葉を交わした回でもあった。

 つまり、前者は、「オンタラクソワカ」を言い間違えた言葉だった「オンベレブンビンバ」の回であるところの第37回に呼応し、後者は、頼家(金子大地)と善児(梶原善)の死が描かれた第33回における、義時と運慶の再会の場面に呼応している。つまり、第21回は、ある種の「原点」ではなかろうか。その後「義時の生きる道」と題された第22回、義時が一族を守るために非情な決断をする第23回と続いていく中で、ここが全てのターニングポイントだった。だから、北条家にとっても、義時にとっても、何かあった時に立ち返る地点はここだったのである。

 大姫が「おまじない」を唱えるその場には、これが初登場だった時連/時房(瀬戸康史)を含めた北条家の人々がいて、その中には、全成(新納慎也)だけでなく、畠山重忠(中川大志)、稲毛重成(村上誠基)といったつい先日貶められる形で命を落とした「婿殿」たちも含まれていた。

 だからこそ、第37回における、避けがたい父子決別の瞬間を前に、りく(宮沢りえ)を除く北条家の面々が集まり、昔に戻ろうとするかのように「あの時の言葉」を思い出そうとする、和気藹々とした姿が愛おしく切ないのであるが、あの場面は、ただ「あの頃は幸せだった」と懐古するには不穏すぎたりもする。同場面において、義高(市川染五郎)の死が尾を引いたまま成長した大姫は、自身を『源氏物語』の葵上にかけて「葵」と名乗り、時政の子の誕生を祝いつつ、それによって「命を吸い取られているおじじ様」を労い、件の言葉を唱え、イワシの頭を手でちぎり続けていた。それは政子(小池栄子)の言う「若い娘にありがちな行動」にはとても思えない、ほどなくして起こる死を予感させる、南沙良版大姫唯一の狂気的な場面でもあった。

 そしてそれは、史実上、息子の死を嘆いての入水自殺説のある八重の、亡き息子と似た名前の子・鶴丸(佐藤遙灯)を救うための水死と重なって、どことなくシェイクスピア『ハムレット』におけるオフィーリアの狂気と死を連想させたりもした。結局誰も正確に思い出すことができなかった「オンタラクソワカ」は、謎の言葉「オンベレブンビンバ」に転じて物語の世界を漂い、大姫と八重の面影と共に、北条家の1つの時代の終わりと始まりを包み込んだのである。

関連記事