『ちむどんどん』暢子に観てほしい映画『マイ・ビッグ・ファット・ウェディング』

『ちむどんどん』と米ラブコメ映画を比較

 NHK連続テレビ小説『ちむどんどん』は、現在ヒロインの暢子(黒島結菜)と和彦(宮沢氷魚)の結婚を、和彦の母・重子(鈴木保奈美)が反対している真っ最中。ここ2週で、しきりに物語に登場する「住む世界が違うのよ」という重子の口癖について少し考える。そもそも生まれも育ちも違う人間が結婚することにおいて、それは至極当たり前なことではないだろうか。

 今回、重子がずっと言っている「住む世界が違う」の意味は、実家の貧富やそれに付随する品の差のようなことを指しているが、“同郷”かそうでないか、国の違いや地域の違いと同一性に関しては少なからず一理ある言葉だと思う。確かに当時の沖縄出身の人間と東京出身の人間は、育ってきた世界は大きく違ったことだろう。今ほど気軽な渡航ができない、加えて暢子たちが子供の頃は自由な渡航さえ禁止されていた時代だった。そういった背景の中で島である沖縄は、本土とはまた違う、独自の文化を築いてきたのである。だから話す言葉も違うし(重子は何度か賢秀(竜星涼)の話す沖縄の方言を理解できずに聞き返していた)、食事も違う。言ってしまえば、東京と大阪、青森と京都など離れた地域同士ならこういう問題は「あるある」なのだ。

 出身の違いが原因で両親に結婚を反対されるヒロインという設定から思い出される映画がある。2002年の『マイ・ビッグ・ファット・ウェディング』という作品だ。本作はよく「異文化交流」の観点で取り上げられる映画でもあり、筆者もアメリカにいた時の授業で観た。全米では8カ月以上も上映されたロングランヒット作として知られているが、その人気の要因は国民の大半が移民である多民族国家だからこそ、多くの人が共感できる作品だったからだろう。第75回アカデミー賞脚本賞にもノミネートされた。

 大まかなあらすじとしては、ギリシャ系アメリカ人のヒロイン、トゥーラ(ニア・ヴァルダロス)が、上位中産階級のホワイト・アングロ・サクソン・プロテスタント、通称ワスプ(WASP)の男性イアン(ジョン・コーベット)と恋に落ちる。このワスプとは、白人のアメリカ人のプロテスタント、白人エリート支配層の保守派を指す造語だ。ヒロインは兄弟、従兄弟と親戚がたくさんいる大きな家族で移民の労働者階級なのに対し、好きになった相手は一人っ子のおぼっちゃま。『ちむどんどん』の暢子と和彦の状況に少し似ているのだ。ところが、この映画の大きな違いはヒロイン側……つまりギリシャ側の家族が白人の男との結婚を認めず、反対するのである。「ギリシャ人はギリシャ人と」という厳格なヒロインの父の言葉は、和彦の母親が暢子には同郷の智(前田公輝)の方が合っているという言葉に重なる。

 『ちむどんどん』の暢子が相手親の反対のために講じたのが「無理矢理(なぜか)弁当を毎日作る」という作戦だったのに対し、『マイ・ビッグ・ファット・ウェディング』でヒロインの両親に結婚を反対された白人男性のイアンは、ヒロインを通して積極的にギリシャの文化を学んでいった。改宗までする気合の入りっぷりだったが、彼のアプローチは相手親に認められる目的において、至極まともに思える。つまり『ちむどんどん』の暢子に変換するならば、重子の重んじるもの……詩などの文化的な教養を高め、同じ会話を楽しめるようにすることではないだろうか。イアンはトゥーラのことを愛すると同時に、彼女の生まれや文化に興味を持ち、リスペクトをしていた。立場的には重子が沖縄の文化に興味を持つことが求められるのかもしれないが、その点においては彼女が沖縄に夫の史彦(戸次重幸)を“取られてしまった”という彼女側のもっともらしい理由があって、難しいことがわかる。というより、それ以前に「初めまして」の息子の彼女がいきなり「私たち結婚するんで、お母様」なんて言ってきたらその非常識さに誰でも抵抗感を覚えるだろう。

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