「人生を恐れないで」戸次重幸の言葉が響く『ちむどんどん』 稲垣来泉の圧巻の演技も

『ちむどんどん』史彦の言葉が胸に響く

 前回のラストで倒れてしまった母・優子(仲間由紀恵)の体調が心配なまま迎えたNHK連続テレビ小説『ちむどんどん』第9話。貧血とのことで大事には至らなかったものの、明らかに過労が原因だ。

 子供たちが優子の手助けになろうと、それぞれ家事を役割分担していた時もあったが、文字通り三日坊主になって誰も彼女を助けなくなった。しかし、その中でも暢子(稲垣来泉)は食事担当として振り分けられた仕事を全うし、母の助けになりたいという意思を感じる。もともとあった食への探究心によるものかもしれないが、優子が倒れたときも彼女から病気の妹・歌子(布施愛織)に食べさせるものを教わっていた。そんな彼女だからこそ、自ら「東京に行く」と申し出たことも、自然な流れだったと感じる。

 第2週の『ちむどんどん』で強調されてきたのは、優子が女手ひとつで4人の子供を養っていくことへの難しさ、比嘉家の困窮具合だ。もともと多額の借金を借りていて、それは父・賢三(大森南朋)の生前からすでにあった問題ではあったものの、ここにきて本当に優子は“詰み”の状態である。採石場で男たちと一緒に力仕事をしてもすぐに倒れてしまう。自分の力に合った仕事を選べばいい、と言える場合でもないのだろう。当時、男性でさえ仕事を探して困っていたのだ。今の時代のように、女性が同等の賃金をもらえるような仕事は限りなく少なかったり、そもそもなかったのかもしれない。

 そして、親戚の賢吉(石丸謙二郎)と和恵(土屋美穂子)からの“正直すぎる”お金の催促が凄まじい。「借金はどうやって返すのか」「もし返せなくなったら保証人の俺たちはどうなるのか」、その詰めっぷりに優子は何も答えられない。おそらく、家の方針を決めてきたのは大黒柱であった賢三で、優子は“決定”をする機会がこれまでの少なかったのか、それがひどく苦手であるように感じる。

 だからこそ、決断や決定を先延ばしにしてしまい、手紙のことも言い出せなかったのかもしれない。そして、その手紙に書かれているように叔母に引き取ってもらう子を一人選ぶこともできない。叔母とは完全に疎遠になったことが明かされたが、おそらく本土に行くことは沖縄との関係を断絶させることに近い意味を持つのではないだろうか。

 賢吉の叔母に対する散々な言いっぷり(「気難しくて、金の亡者」と“彼”が言う皮肉)をみても、沖縄の土地を去った人間が故郷で陰口を叩かれてしまうことを暗示している。ただ親戚の家に預けるのとはわけが違う。ある意味、養子に出す感覚に近いのだろう。そこまで理解しているからこそ、優子はやはり自ら決断を下すことを躊躇い、できなかったのではないだろうか。

 一方、子供たちは親の心子知らずも上等で、各々東京行きを夢見始めていた。それでも、いざとなれば途端に不安になって「豚の世話があるから」「生徒会の役目があるから」と嫌がりだす。子供なんて、そういうものだ。あれだけ優子が頑張って稼いだお金で買ってあげた体操服や靴も、一夜でボロボロにするし、家の手伝いだって難癖つけてすぐやらなくなる。そんな子供たちを育てながら、親戚にはお金をせびられ、重労働を毎日している優子は、たとえ決断力がないと思われても母としての慈愛、忍耐力に優れているキャラクターだと断言できるだろう。

 暢子はなんとなく、自分が行くことになるとどこかで思っていたのかもしれない。そして、民俗学者の史彦(戸次重幸)もそうなると確信を持っていたように思える。民俗学の教授としてやってきた彼は、彼女が東京に行くこと、沖縄を去ることを励ますような言葉を送る。「みんながいつかこの村に生まれて、育ったことを誇りに思ってほしい」。

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