小川紗良の眼差しがもたらした説得力 “あいまい”を肯定してくれた『湯あがりスケッチ』

『湯あがりスケッチ』人生はあいまいでいい

 高い窓から差し込む清々しい光を浴び、そして深夜の神秘的な湯をまとい、各々は一歩を踏み出す。『湯あがりスケッチ』(ひかりTVにて毎週木曜日配信中)最終話では、穂波(小川紗良)の人生に大きな転機がおとずれる。

 しばらくタカラ湯に顔を出さなかった熊谷(森崎ウィン)がふらりと現れたかと思うと、旧友に誘われ北海道で演劇をするかもしれないと穂波に伝える。一方の穂波は編集者の新浪灯子(成海璃子)から銭湯のイラストをまとめた本を出版する話を持ちかけられていた。お互いに人生の決断のさなかにいる熊谷と穂波。そして二人はそれぞれの答えに向かう。

「銭湯って、一人でいて、一人じゃないんですよ」

 第7話で灯子と稲荷湯の湯船に浸かりながら穂波が口にした言葉は、まさに『湯あがりスケッチ』を象徴するものにも受け取れる。穂波の人生を、再生を、歓びを描いてきた本作は、間違いなく穂波の物語であった。そして穂波のまわりには愛之助(村上淳)や、ゆづ葉(新谷ゆづみ)、熊谷、そして銭湯を通して出会うかけがえのない人々がおり、それぞれの夢や不安や孤独があった。そんな人生と人生の交わりを、タカラ湯を舞台に再構築したのが最終話だったろう。

 タカラ湯をめぐる人々には、それぞれの独立した人生がありながら、ことさら境界線を際立たせることなくじんわりと交わっていた。そして観る側の私たちもまた、その関係性に心地よさを感じていた。温かく包み込むようでありながら、どこかさっぱりとした関係こそが「一人でいて、一人じゃない」という、そんな物語だったと思える。

 穂波は揺れる湯にあたる日差しのように、柔らかくしなやかな女性だ。あからさまな強さがあるわけではないが、きらりと光り、ゆらりと乗り越えていける強さを持つ。決して、自分の人生の波間に溺れいくような女性ではない。だからこそ、銭湯で働く決断をし、そこで得た気持ちや気付きを乗せたイラストで人々を魅了し、迷いながらも本の出版を決意し、どんどん前に進み自らの道を切り拓いていけた。そこには湯のように湧き上がる気持ちがあるのだ。それは言い換えれば、枯渇することのない、欲でもあるだろう。

 そんな穂波を熊谷は「わがままに生きられる人」と形容する。「わがまま」とは、前向きに捉えにくい側面をもはらむ言葉である。しかしこれが穂波に向けられたとき、この「わがまま」は、自分の人生とよく向き合い、大切に歩んできた推進力を讃える言葉として響く。そして熊谷もまた、そんな穂波に惹かれ、そんな魅力に気付いていたというサインとしてこの言葉を伝えたのだろう。

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